秩父昇天記(3)

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さて次にSくんに連れて貰ったのは、秩父神社。

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崇神天皇の御代に秩父国造が祖神を祀った、というのは今wikiった入れ知恵だが、なるほど古代の秩父盆地は、国を名乗るだけの勢力だったろう。お社は市街の中心にある鎮守の森に、丹塗りの大きな鳥居が聳えているからすぐそれと分かる。

この祖神というのがオモイカネで、天上界一の知恵者とされた神。天の岩戸に引き籠もったアマテラスを引き出す方法を、神々に相談されて少しも騒がず、「じゃ岩戸の前でエロ踊りをしなさい」と答えた。実際それで解決したと言うから素晴らしい。

インチキな強制信仰をさせたがるキチガイをよそに、本来日本の神さんはずいぶん大らかで、おチリが好きだし酒も飲む。あれするなこれをせいと、うるさいことを言わないのがいいところ。要は大自然に敬意を払い、身の程をわきまえていればよい。

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などと考えていると、よしこ姐さんの日焼けたポスターが。この九去堂は無信仰もいいところだが、例えば伊豆大島の御神火様を前にしては、朝晩手を合わせて拝む。地面と衣食住を恵んで下さるが、瞬時に我を殺しうる対象は、拝むしかないだろう。

自分がどんだけちっぽけなんだ、という当たり前の事実を思い知ることだし、どんなに恵まれた国土に住んでいるかを再確認することでもある。ゆえに日本の神さん拝んでおきながら、政治的にウルサイことを言う連中を、キチガイと見ているわけだ。

姐さんはさておき*、連中は頭が悪過ぎる。古事記や日本書紀を、ちゃんと読んだことがあるのかしら? 国土や祖先の積み重ねを、有難いと思ったことも無かろう。ゆえにポンニチのキチガイはウヨもサヨも、根は同じく無知と無脳にある、と断じる。

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この話好きなので続けると、数理と自然崇拝に矛盾はない。数理に照らし合わせても、大自然は偉大に違いないから。思い上がって取りすぎれば恵みは枯れるし、なめてかかれば即、殺される。団塊どもが、山で知れきった遭難死を遂げるように。

宗教学なるものが欧米から入ったからには、こうした自然への畏怖が、土人の宗教と断じられるのはやむを得ぬ。だが数理を受け入れるなら、何を拝もうとそれは個人の自由。問題は合理と数理が、欧米だろうとバカには分からないことにある。

大自然の原則たる摂理が、人間のカタチをしていると思っていることが、大変な土人だと私には思えるのだが。拝んだり願ったりすれば、自分の都合良く動いてくれると期待する方が未開と思うが。さらに押しつけに来るなら、それはもう野蛮人だ。

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ここでSくん、ほらご覧なさい、ナニナニの竜ですよ、と指さす。左甚五郎の作とされる、華麗な彫刻だが、驟雨に遮られよく見えない。ビノ取り出して眺めるが、これもまたこの瞬間にしか見られぬ景観。西行の腰掛け石の類かねえ、と口ではふざけるが。

むしろその痛み具合が痛々しい。神さんには綺麗なお社に住まって貰おうと努めるのは当たり前で、誰の作だろうと見事な工芸は見事だ。秩父神社はそれなりに知名度があるから、お財布に余裕がないわけではないのだろうが、やや案じられる。

ゆえに、では行きましょうかと言うSくんを引き留め社務所に向かう。普段神仏に投げ銭などしない私だが、なにかしらお金を使っておこう。どこにでもあるようなお札やお守りを物色していると、なにやらおかしげなるものがあったのでそれを求める。

九去堂と萌え萌え絵馬。
秩父神社 心が叫びたがってるんだ 萌え萌え 絵馬
その組み合わせも可笑しかろう。


*櫻井さんの言ってることやってることをよく知らないので記述は保留。だが、SMAP一件で世間に晒されたように、ヤクザが仕切るテレビ界の、売国アカが仕切る報道番組で、反対思想でありながら生き残ってきた技量は敬服に価する。
女性性も使いよう一つで、この九去堂にさえ頭を下げさせる。ううむ。

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