実見・覚王山日泰寺(前篇)


名古屋駅より地下鉄東山線七駅、覚王山駅がある。至近に覚王山日泰寺がある。この寺はポンニチ唯一の超宗派寺院で、本物の仏舎利を納めている。英領インドのペッペという地主が掘り出し、英国政府がタイの王室に委ねたものだ。
仏舎利容器
画像出典:真宗大谷派 紫雲寺HP
インドが英領だったのがここでは良かった。先に記したが、神サマ狂いの連中だったら、捨ててしまったかも知れない。西園寺公望の別荘もそうで、英国人は残忍でイジワルで図々しいことばかりしてきたが、ものの道理は分かっているらしい。
お釈迦様が亡くなった後、弟子が集まって荼毘に付し、遺骨と遺灰を壺に収めて各地に分けた、と『マハーパリニッバーナ・スッターンタ』(→)に書いてある。近代以降それを真に受ける者は少なかったが、ホンモノが出てきてびっくりしたらしい。
当時のラーマ五世大王は舎利を独り占めせず、世界の仏弟子が皆でお祀りすべきだとおっしゃって、駐タイ公使を通じてポンニチにも下さった。1900年のことだ。ところがポンニチの坊主どもは、舎利を自宗派で独占しようと醜い争いを続けた。
だから鎮座の地が決まらない。その上舎利奉迎の際、大王に書籍を献上すると言っておきながら、反故にした坊主が続出。大王も困って、領事を呼んでおっしゃった。奉祀の地が決まったら、建材も下賜したいのに、一体どうなっておる。
領事は恐れ入り、早速坊主どもに手紙を出した。相手は仮にも一国の国王陛下、個人同士の口約束とはわけが違う、何とかしてくれ。ここで坊主どもは京都派名古屋派に分かれ、約二年揉めに揉めた挙げ句、舎利は名古屋に納められた。
その覚王山駅は、ちょっとシャレた市街の中にある。
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現在、名古屋でも人気の住宅地だそうで、昔は松坂屋の始祖など、名古屋財界人の別荘地だったようだ。東京で言えば、田園調布か自由が丘あたりだろうか。と言うのは半ばウソで、上京来約30年、用がないから行ったことないので知らんが。
ここから寺までの行き帰りは次の通り。
覚王山日泰寺周辺地図
橙色が私の歩いた経路、赤が寺域、青が舎利奉安区域。元はまとまって広大だったらしい日泰寺の境内は、今は分割されている。
駅よりスタバのある角を曲がって、およそ500mの参詣路を北上。
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平日昼間でおまけに縁日でもないとあって、冬枯れた門前町に開いた店はほとんど無い。今様の街とあって、店の半ばはおねいちゃんに媚びたようなしつらえ。男はケチだが女はそれ以上で、男にねだって出させてそれで経済が回る。成る程。
途中のベンチに灰皿有り、冬休みに入ったばかりか、地元小学生の姉妹が仲良く遊ぶけしきを眺めて一服。この子たちもいずれ上記の経済因子になろうが、それは思わぬことにして、さてと立ち上がって再び歩けば、寺の結構が見えてくる。
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思いの外、と言っては失礼だが豪華な作りだ。大乗教典をニセモノと小ばかにしている私としては、もっとこう質素な作りを想像していたのだが、受け入れる坊主が大乗ばかりだから仕方がないし、タイ王室の親拝も度々あるからには当然だ。
一礼して境内に入る。壮麗な本堂に…、
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五重塔。
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本来舎利を納めるべき塔が、中心線を外れ飾りのように建てられているのがすでに純和風寺院で、しかも舎利奉納の場所は別にある。寺は寺、ストゥーパ(塔)はストゥーパと分ける結構は、ひょっとしてタイの寺院様式をかたどったのかも。
いずれももちろんコンクリ造りや戦後の建築である。大王陛下ご下賜の用材が本当に来たのかどうか知らないし、本当だったにしてもいずれ、アメ公が焼夷弾落として焼いちまったに違いない。寺は焼くものと思っていいのは、戦国大名だけだ。
蛮族どもだ。それを思えば、京都にあった方が良かった?
他に人のほとんど居ない境内を歩き、本堂に入る。
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内陣の脇で坊さんが二人、大きな太鼓をドンドンと叩いている。どうやら練習風景らしいが、叩き方から現在寺を預かっているのが曹洞宗ではないかと想像する。この寺の住職は各宗派で持ち回りだが、付設の坊主学校は曹洞宗だというし。
本堂奥には、タイ国今上陛下のご宸筆、緑地金文字の勅額がかかっている。
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HPによれば、タイ語で「釈迦牟尼仏」と書いてあるらしい。その下に鎮座する本尊は、ラーマ五世大王陛下ご下賜の、タイ国宝だった千年を経た仏像らしい。遙か遠くでよく見えないが、さすがに由来から考えてツアイスを向けるのは遠慮した。
覚王山日泰寺 本尊
©wiki
「今上天皇聖寿万歳」(天皇陛下が万年お健やかであられますように)
「泰国国王聖寿万歳」(タイ国王陛下が万年お健やかであられますように)
「施主家先祖…」(ついでに、お布施呉れた家のご先祖は…)
と読める。もちろんカネは大事だが、というところであるらしい。
本堂から山門を振り返る。
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同じく振り返るのは、ラーマ五世大王陛下の像。
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周辺にはタイ国王単独および両陛下、王太子殿下親拝の祈念碑が何本か建てられている。
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寺はやや高台にある。心あらば、名古屋市街を眺める大王陛下の像は何を思うのだろう。
さて、ここで私は困った。ストゥーパに行きたいのだが、案内の類が一切無いのである。
やれやれととぼとぼ歩くと…。
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塔の傍らにこんな石碑が。多分ここを降りるのだと想像して進む。
つまり境内を出てしまうわけで、坂を下りつつこれかな? これかな? と思う脇道はどれも外れのよう。仕方ないからタブレット取り出して検索。振り返って首をもたげれば、夕日の逆光に浮き上がる、五重塔が一層高く見える。
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(続く)

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