(13)


さて尾道に着いた私とメイト君。
しまなみ往路
大林監督が作品にしなかったら、この町は静かなままでいたろうなと思う。
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私も大昔、この坂をうろうろしたことを思い出した。若気の至り。
ここで当たりのラーメン屋に行き着いたことは、すでに書いた。
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すぐ前に海が見えます、と謳う席に、若いつがいがいるのもまた尾道らしい。
若夫婦もいる。何を思ったか、連れていた赤ちゃん泣き出す。厨房から店のおかみさん飛び出し、赤ちゃんをあやす。おおヨシヨシ。赤ちゃんようよう泣きやむ。
まことに心が豊かになる。食し終えて手洗いに向かえば、こんなポスターが。広島と言えば彼女たちなのであろう。
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すっかり四国頭でいるが、そういえばここ広島だったっけ、と改めて遠くに来たことを思う。
席に戻れば、片づけられた卓上に水が満たされていた。
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飲み干すと、まだ飲みますか、とおかみさんが水瓶を手に取って言う。
謝して甲冑を着けながら振り返ると、こんな写真が貼ってあったり。
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おかみさんの心遣いが、古き善きポンニチらしいのが頷ける。
店を辞して給油。
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東京ナンバーに目を丸くされる。対して渡し船の乗り場を聞けば、もう1本しか残っていない、すぐ近くだ、と言う。はて、事前の情報では3本あったはずだが?
尾道と向島(むかいしま)の間に橋が架かったのは、とうに昭和43年のことだ。それ以降も数を減らしつつ、つい最近まで3本の渡し船が行き来していたという。
s-尾道水道
かつて山上から見下ろした記憶では、それはもうひっきりなしだったのだが。
世界一短いクルージングと看板のある、土堂-兼吉航路の船着き場に赴く。
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乗らんとするチャリダーは、対岸向島の青年か、あるいはしまなみをゆく旅人か。
お仕事中の郵便屋さんと郵政カブ君の後ろに、メイト君を付ける。
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船の大きさと造りは、まさに渡し船。
尾道から瀬戸の島々を巡る船が通り過ぎるのを待ち、船出。
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雨合羽のおじじが渡し賃を集めに来る。110円、だったかな?
おじじ、メイト君に貼ってある青いセーマン様に目を留める。京都は晴明神社の守り札だ。
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おじじ両手をおキツネ様の形にし、古歌をすらりと詠み上げた。

恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる
 信太の森の うらみ葛の葉

まことにみやびな渡し船は、メイト君を乗せて水道を行く。
s-メイト君乗船中
5分とたたず対岸の向島へ。
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行きとは違った道を進んで南下。
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因島大橋を越えようとすれば…。
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母港呉に帰投するのだろう、掃海艇の姿。
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警備に投入されることを想定しているのか、警告電光掲示板が設置されていた。
今艦番号をググれば、掃海管制艇「まえじま」、らしい。それでも本来は機雷処分が任務のはず、時代はひたひたと変わっているようだ。
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もう忘れられようとしているが、日本のサンゴを、押しかけた中国船の群れに、好き放題に荒らされても手も出せないようでは、致し方ないのかもしれない。

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