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洛西嵐山と言えば、その中心は天龍寺と渡月橋。
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駅前の物売り屋の前を、ぞろぞろとチュコクチンの列が続く。連中特有の騒がしさはあるが、ニンニクとごま油が腐ったような、あのニオイはなぜかしない。冬だからか。
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近年、チュコクチンの階層分裂現象は甚だしく、品のいいのもいる。ぞろぞろから離れたそんな若夫婦が、飛び回る一人だけの子供を躾けながら、参道を歩いている。
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同時にポンニチ人の同現象も甚だしい。回廊の向こうから、団塊ジジババが大挙してやってくる。持っていたノボリから、播磨の山奥から出てきた百姓らしい。
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ご覧の通り人2人半で精いっぱいの幅だ。団塊は避けもせずぐだぐだ行進してくる。仕方ないから縁側に立ってやり過ごすと、次々に私を突き飛ばして歩き去る。
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出典:大艦巨砲主義
私を見もせず済まぬとも言わぬ。思わず佩剣に手をかけたのはここだけのヒミツだ。まとめて頭蓋を叩き割るのは簡単だが、この場は禅寺、殺生はいかん。
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下愚は移らず。者どもは投げ与えの餌をくちゃくちゃと食って、あとはがあがあ騒ぐだけだ。対して感じ入った表情をして静かに庭を眺める、白色外国人は多い。
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だが私には造形芸術はさっぱりわからない。あきらめて上った裏山から振り返れば、京の町が一望できる。
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わからんものに感心する趣味はないが、わかるものは心行くまで堪能する。
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山を登りきると、桂川を見下ろすことができる。ここまで来る者は他におらず、心静かに楽しめる。川下りの船が行き、見れば山陰線が川沿いを走る。
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だがばか者は世に絶えぬと知る。
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一服して静かな山を下る。道はなかなか整備されており、清潔なトイレもある。
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途中には陵墓もある。宮内庁はいつまで明治の虚構を担ぎ続けるのだろう。
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さらにこんなものもある。アカが市政を牛耳っていたころのあかしだ。
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河畔に出る。観光下り舟の受付に人もなし。そういえばこの道、田中さん先生ご夫妻が受賞直後、「ノーベル賞の先生やおまへんか」と声を掛けられていたっけ。
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さらに進めば渡月橋。
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ぞろぞろのチュコクチンですら、左を通れというこの場の規則には従うと見える。対して先刻の団塊が想起される。
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帰りのバスを待つ。が、曜日によってバス停が変わるゆえ右往左往。行ってしまった直後の先頭に並ぶ。コーカソイドとチュコクの垢ぬけた女の子も並ぶ。
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しばらくしてバス来る。と、10円ハゲに汗染み野球帽、垢浮きジャンパーに酢昆布のニオイしたでぶが割り込む。瞥見して池沼と判断。でぶ先頭の席に座る。
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団塊と池沼の壊れた脳には、殺気を感じる機能はない。算盤が合わぬゆえ放置が世の常。と割り切って乗ったバスで渡月橋を一旦渡り、再度桂川を渡り戻る。
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方角としては北になろう。京都が山に囲まれていることがよくわかった。
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