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京都の街には、網の目のようにバス路線が張り巡らされている。¥500の一日乗車カード1枚(3回乗れば元が取れる)あれば、ほとんどの名所に行けてしまう。
京都市バス路線図
そのカードにも、萌え萌えは容赦なく押し寄せている。萌え萌えにまみれる日本人としては、むしろ市内を多数うろうろしている、外国人が喜ぶのではないかと思う。

京都市バスカード

いずれのバス停でも、10~20分待てば次のがやってくる。しかも多くのバス停で、バスの接近を知らせる装置までついている。しかもオフシーズンゆえか、バス停の先頭に並ぶなら、たいてい、座ることができる。
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だから京都観光では、バスの乗りこなしが旅を左右すると言っていい。私は札びら切って、「ドコソコ行けや」とタクシーに言える身分でもないし、大勢箱車に詰められて、「は~いみなさ~ん」と言われなければならない老人でもないからだ。
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一つ驚くのは、市バスの運ちゃんが丁寧なことだ。言葉遣いだけでなく、乗り遅れそうな人を見つけると再度停めてドアを開けたりする。私が厨房で、アカが京都の市政を牛耳っていた頃は、それはもうヤクザのような連中ばかりだったのだが。
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故桂小南師匠がよくネタにしていた、京都人のイジワルというのは、アカによる一時的現象だったのかもしれない。1,000年の間、お上りさんをあしらうことでご飯を食べてきた人たちだ。イジワルすれば跳ね返る、と知っていたに違いない。

だがその京都人でも、お上りのぼんやりまでは面倒見切れない。網の目と言うことは、行き先の違うバスがいくらでもあるということで、うっかり乗り間違えるとトンデモナイ所へ連れて行かれてしまう。同じバス停でも、乗り場が違うこともある。
四条大宮バス停
ここでは案内の看板を、落ち着いて解釈することが必要だ。反射的に動くと、反対向きだったり、しまったと思っているうちに、無情にも乗るべきバスが行ってしまったりする。曜日によっても乗り場が変わる。私は四条大宮でこれをやらかした。
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そうならぬようにするのも、また旅の心得だ。どうしてもわからなければ、一旦京都駅まで戻ればいい。その車中、市内を眺めるのも楽しいものだ。別に急ぐ旅でもないし、どこそこへ行か「ねばならぬ」というわけでもない。
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条坊制のわかりやすさ、客あしらいに慣れた街、そうした条件を考えれば、ぶつぶつ言いだす前にあきらめがつくというものだ。だからこそ心穏やかに旅を楽しめる。こういう見えないインフラが、観光都市としての京都の底力か、と思った。

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