名古屋出張顛末記(6)

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乗換駅に着いた。
お天道様が良く当たる中、先生の最寄り駅に向かうにはどの電車か、とホームを行ったり来たりする。
ポンニチに住んでる限りでは、電車の乗り方切符の買い方はどこも同じだ。しかし、目的駅にどの電車が停まるか、そもそもその駅に行くにはどっち方面に乗るべきか、外来者にはまるで分からないものである。
駅員さんに尋ねたりして、それなる真っ赤な電車に乗る。ガタゴトと揺られるその景色は、どこの都市でも似たような、味気ない大型西洋長屋とアスファルト道路の組み合わせだ。ただその空き家と、物干し竿にかかった洗濯物から、ポンニチの景気がいかなるものか、知れようというものだ。
時を経ずして目的駅に着く。
私は不思議に思っているのだが、ターミナル駅であれここのような標準的な駅であれ、ポンニチの駅前風景というのは全国どこでも全く変わらない。よほどの山奥に行けばそれはまた違うが、山奥同士ではこれまた、全く変わらないのである。
長らく鉄道の無かった沖縄なら違うだろうと思って先年訪れたが、やはり全く同じであった。今立つこの駅もその期待を裏切らず、ネットカフェとコンビニがある以外、これと言って特徴がない。
コロコロ引いて先生のお宅に向かう。無論、ずいぶんと時間前に着いてしまう。モクでもやって時間つぶすかと思ったその時、土地持ちらしいばあさんが、ホウキとちりとり持ってシャッシャと道前を掃き出す。ここは禁煙であると、派手な看板もかけてある。もちろん携帯灰皿の心得はあるが、大気というのは、たばこを呑まない者のためにあるらしい。これでは煙吸いの生きる場所とてない。
やむなく先生のお宅をおとなう。よく来たね、と先生迎えて下さり、ご挨拶かたがた礼物を差し出す。ちょっと奮発したのだが、皆伝の先生に教えて頂けるとあれば安いものだ。
いくつかの言葉のやりとりがある。いろいろと疑問に思っていたことを伺うと、それぞれ明解な答えを下さる。やりとりの中で先生、私が背負ってきたものに目を止め、得物持ってきたの、とおっしゃる。
それではとおっしゃって、先生併設の道場にいざなう。一礼して入れば、正面に豪勢な神棚がしつらえてある。いや、神棚と言うのは不適当だ。それはロシア正教の祭壇の如く、もはや神宮の聖域と言っていい。
聖堂
(画像出典:wiki)
いいよ得物は出さなくても、と先生おっしゃるので、得物を一礼してお借りした。実はこの時神棚にまだ気付いておらず、反対向きの明るい窓に向かって、刀の礼をしてしまった。すなわち神棚にシリをむけてしまったわけで、今でもこの非礼が気にかかる。
早速稽古を付けて頂く。その技の冴えたるや、言葉に出来るものではない。事実を一つだけ挙げるなら、得物持った私に対し、無手の先生がサッと間合を詰め、人差し指一本ですうっと急所を撫でるだけで、手もなく私は崩されてしまった。
熊や狼が稽古などするかね、という前田慶次のせりふを、裏返しに体験したことになる。つまり技が圧倒的であれば、少々の体力や敏捷さなど、まるで役に立たないのだ。試合や大会の際、他者がそれを演じているのを見ることはままあったが、この身でそれを思い知るのは、お師匠様の道場でも常時あることではない。
その他、いろいろな秘術を教えて頂く。言葉だけで言えば、それは先生のHPに記されていることではあるが、親しく教えて頂ける、しかも一見の私に、これは何とも有り難いことだ。
思いつく限りの質問が出尽くし、もう聞きたいことはありませんかと先生にこやかにおっしゃる。去りがたい思いからさらに言葉を続けようとも思ったが、先生にもご都合はあるだろうし、もう2時間近くも居座ってしまった。
深くお礼を申し上げて、先生のもとを去る。またいらっしゃいとの声に見送られ、得物とコロコロ引いて再び駅に向かう。

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