(6):雨の東予


9/1朝8時頃、すでに目覚めていた私はがさごそと動き出す。ここは新居浜、市民の森キャンプ場。
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一般にテン寝では早く目が覚めるが、それまで何をしていたかと言えば、蚊帳の修理だった。ドアパネルを改造して縫い付けた蚊帳に、ファスナーが食い込んで破れてしまい、糸と針出してちくちく縫っていたのである。やはりテントにも試運転は必要なのであった。
天気は小雨。もの皆濡れる。思わず歌を歌いながら、手仕事に精を出す。
コンパ歌集♪雨は降る降る 人馬は濡れる
 関の小万の 涙声
 馬手に質札 弓手に馬券
 豊かに生きます 美青年
…後半は、昭和46年刊の歌集により、母校に伝わると伝わる、替え歌である。じかには知らない。
その歌集も、旅の途中偶然、青森のYHの書庫にたくさんあった1冊を、譲って貰ったものである。いつ手に入れたかも忘れた昔のことだ。
この歌に歌われた田原坂を訪れたのは、もう何年前だったろうか。確か重爆RS号で四国に渡り、さらに九州に渡った。
当時カメラを持ち歩く習慣がなかったから、何1つ記録は残っていない。
坂の傍らでは、西洋人が小さな鍛冶場を構え、かんかんと刀を鍛えていた。
さらに傍らに、学校出たてと見える女の子が軽自動車に移動店をしつらえ、茶屋を開いていた。
どちらも元気でいるだろうか。
さて荷を片付けたりしていると、9時だいぶ前に、オサレなminiに乗った管理のオイサンが来たる。
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昨日のオイサンの話しでは、9時に別のオイサンが来るからね、との話しだったが、ずいぶん早い。
オイサンは丁寧な言葉で話しかける。しばらく雑談した後、このキャン場を去った。
0852、去り際に門前のコンビニで朝食代わりを摂る。摂ったのは野菜ジュースと飲むヨーグルトのみ。このほか、昨夜壊れていることが分かったライターの代打や、ガスボンベなどを買い、¥663也。
私はこたびの旅のメインディッシュは、今治の沖に浮かぶ無人島、見近島(E)と考えていた。それゆえ昨日の時点で、もっと近付いても良かったのだが、あえて東に向かってテン張りしたのにはわけがある。
地図新居浜見近島
それは新居浜・西条周辺で、見たいものがあったからだ。1つは住友発祥の地である、新居浜別子銅山記念館(B)、もう1つは、伊予西条駅に併設された、四国鉄道歴史パーク(C)であった。
そういうわけで、銅山記念館への道を進む。
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この画像の撮影は0921、実はこの左手が記念館だったのだが、気がつかずに通り過ぎてしまった。ナビ君は後述の理由でダウン、しかもそれらしき建物が何も見あたらなかったからだ。
ヘンだなぁと思いつつメイト君を歩ませる。ずいぶん奥地にまで来てしまった。道の駅マイントピア別子にまで至って、さすがにこれは行き過ぎだろうと考え直す。来た道を元に戻る中、真っ黒なお面みたいなバイザーをかぶったオバサンが、てくてくと歩いているのが印象的だった、降り出しそうな曇天なのに。
戻る途中でもう一度記念館の前を通り過ぎた、ようだ。そのまま川を渡って小さな市街に入れば、やはり小さなガススタンドがある。メイト君のおなかは減っていないはずだが、ここは道を聞くしかない。
新居浜市中西町16-30、伴野石油店。オドメータ7259.3km、2.66L、¥385也。
東京ナンバーを珍しがって、スタンドのオイサン軽で給油のオイサンが寄ってきて、記念館はあそこじゃが、と川向こうを指さす。神社のねきじゃ、とは言わなかったが、鳥居の中だよと教えられ、ようよう記念館にたどり着く。
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ここはどう見ても神社であり、記念館であることを指し示す看板は、上の画像の如き小さなものしかない。
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入り口たる鳥居の前には、ワゴンタクシーが道をふさぐように伏せており、エンジンは掛けっぱなし。
なんだかなぁと思いつつ石段を登れば、記念館はこっちに曲がれと言う看板が目に付く。
今同記念館のHPを参照すれば、「建物は地中に埋められたかたちで建っており」とある。鉱山の記念館ならではだが、なるほど分からんわけだ。
なにがしかの金も払わずに中に入る。入れば初老の館長が、住友の関係者らしき一団を案内しつつなにやら解説している。顔ぶれから見て初任管理職の研修だろうか。他には私と受付のおばちゃん以外、誰もいない。
展示は、そこは大住友が建てただけあって充実している。しかし撮影禁止だから、興味のある方はサイトでもご参照下さい。
さて見終わって外に出ようとしたところ、ちょっと催してきた。私はテン寝が好きなのだが、困ることが1つある。普段の生活ではウォシュレットもどきの洋式でナニしているゆえ、お湯無し和式はどうもいけない。無論キャン場の主力はそれである。
そこは大住友のことだから、トイレは定めし充実しているならんと期待して、大住友の大便所に赴く。
お湯の設備はなかったが、洋式ではある。新しくはないが、よく手入れされており、おまけに人の気配がない。のんびりとナニさせていただいた。
外に出たら、ざんざん雨だった。やれやれと雨具を着け、記念館を後にしたのは1037だった。
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次なる目的地である伊予西条駅までは、15kmほどの道行きである。しかし困ったことに、ナビ君がダウンしてしまった。このナビ君、10年以上の古強者で、今時CD方式である。元々車用で、雨が降ったら手製のカバーを掛けていたのだが、湿気が激しくなると機械的にダメになるようだ。
抱き込み式のタンクがないメイト君とあっては、タンクバックに入れたマップを参照しつつ進むこともできない。取り出してみるにも今は雨である。それゆえ看板とカンに任せて、西条への道をたどる。
途中で道が二手に分かれ、今治方面の道を選ぶ。どうやらバイパスのようだと気付いたのはしばらくしてから、森の中を進んで線路は遠く離れていく。機転でとある信号を取り舵いっぱい、市街の方向だろうと思われた小道を行く。見知らぬ川を渡り、見知らぬ小集落を抜けると、遠くにNTTの複雑なアンテナが見えた。
日本の地方都市というのは、どこも同じような構造をしている。官立時代の名残とて、電信局は国鉄駅近くにあることが多い。方角はあっちだ、と見当を付けて進んでいくと、傍らに聞いたような手芸の店があった。
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あ、マツケだ、と心で声に出した。ネットで特殊な生地をよく売っている店で、私はちょくちょく利用する。そう言えば伊予の国では、このような大型手芸店を良く目にする。東京では手芸の店は壊滅状態で、今は女の人が縫い物しなくなって、と店員さんに良くぼやかれる。このような店が生き残っているからには、伊予の女性は古風な醇風美俗を、今だ守っていると見える。
やがて町並みは都市らしくなり、1109、伊予西条の駅にたどり着いた。
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雨が激しいゆえ、駐車場の傍らではなく、西条市の観光記念館らしき建物の軒下の端っこに、メイト君をつなぐ。軒下にはベンチがいくつかあり、数人のオイサンがかたまって、缶ビール片手になにやら雑談している。その一人が兄貴分と見え、大きな声で他のオイサンたちに説教をしている。
鉄道歴史パークは、西条市が建てた鉄道記念館であるらしい。その規模はこぢんまりしており、車両を見せる建物と、西条出身の十河総裁の記念館に分かれている。その中間には、総裁の銅像が建っている。
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雨の中車両館に駆け込むと、靴を履き替えよとあるので、濡れたひもを解いて履き替える。受付に行くとおねいサンがおり、入場料を払おうとするとあっちの建物だと気の毒そうに言う。
再び靴を履き総裁の館に向かい、切符の形をした入場券を買う、¥300也。さらに雨天を走って靴を履き替え、ようやく入場が許された。
車両館は、2両入ればほぼそれいっぱいの規模だ。
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右がDF50、左が新幹線0系だが、新幹線の方は入りきらず、1/3ほどで輪切りにしてある。
0系がここにいるのは、新幹線建設当時の総裁が十河さんだったからだろうが、私はあちこちで見ているゆえさほど喜ばない。喜ぶのはディーゼル機関車DF50の方で、全国の客車列車を引く名機関車として、子供の頃から一度見てみたいと思っていたものだ。
この機関車については詳しくはリンクを。戦後初めての本格的ディーゼル機として、客車のみならず貨物をも引き、経済成長を支えた名機である。
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構造的にも面白く、エンジンで発電してモーターで駆動する。当時の国鉄の広告に、「このほど国鉄では、強力なディゼル(ママ)式電気機関車を製作し…いわば簡易電化と言えましょう」とあった記憶がある。電気機関車と断るあたり、電化に対する当時の思い入れが感じられる。挿絵の写真も、四国は土讃線、大歩危駅あたりにたたずむ、このDF50だったはずだ。
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機関室は軽量化に配意しただけあって案外スカスカ、しかし機器の存在感いっぱいで、まるでUボートのよう。ヨハン兵曹がオイル差し持って、にゅーと現れそうだ。どちらもディーゼル・エレクトリック方式だし、大きさもほぼ同じだ。そういえばこの機のエンジンは、ドイツのMAN社の技術供与を受けたと言うから、まんざら当たっていなくもない。
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ここ伊予西条駅は、霊峰石鎚への登山口でもあり、その姿は車両館の出窓より見える。
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その出窓より眺むれば、お山は雲の果て。当分雨は止みそうにない。
ついでだからと言うわけで、総裁の記念館も見る。東京帝大法科を出、鉄道官僚として極官に至った人として、いかに努力の人であったかを伝えようとしていたようだ。
そこを出てメイト君の元に戻る。駅の隣は葬祭場だが、そこからオイサン、といってもおおむね同年代の人がやってきて、話しかけてきた。どうやらバイク乗りらしく、今日は昔のバイク仲間の葬儀だったという。今は富山に住んでいるのですがね、訃報を聞いて飛んできました。スズキのマシンを、こよなく愛した男でした…。ほう、メイトでここまで来た私が言うのも何ですが、大変でしたね、事故だったのですか、と聞けば病いだと言う。
だとすればこの天候はまことにそれにふさわしい。
やや雨が上がったゆえ雨具を脱ぎ、伊予西条を後にする。
軒下のオイサンたちは、相変わらず兄貴分が大声で説教をしていた。

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