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現地時間の16時過ぎ、シンガポールの地下壕、バトルボックスを出た。空は今にも雨が降り出しそうで、これはやっと、ご当地名物スコールのお出ましか、とさえ思わせる。
地下壕の丘を下っていく。これは昼頃、一旦ぶらぶら歩いた道だ。ゆえにものを珍しがることもなく降りていき、丘の下の次なる目的地へと向かう。
目的地というのは、プラナカン博物館だ。国立博物館のような広壮な建物ではないが、こぢんまりとしつつも、どこか可愛らしい建物に仕上がっている。

今同博物館のHPから画像を引用すると、こんなふうになる。

これで大まかなイメージはお伝えすることが出来るだろうか。さよう、入れ物といい職員の皆さんといい、どことなく女の子っぽい博物館なのだ。
プラナカンとは、華僑を主とする外来の人々が、マレー系を主とする現地の女性と結ばれて出来た人々の子孫、あるいはその文化を指すという。交通交易の要衝だった、シンガポールらしい話である。詳細はリンクしたwikiの記事をご参照いただきたいが、私がやや驚くのは、中国人が現地の文化に同一化した、あるいは、現地のそれとの折衷文化の中に生きた、ということだ。
今日、日本でも横浜はじめ、各地に中華街があって、華僑が中国風の生活を守ったまま暮らしているのを見ることができる。これは海外でも同じで、どんな国にも、中華街はたいていあるという。それほど中国人というのは、自分の文化習慣を変えたがらない、ということなのだ。
無論、これは当然と言っていい。西洋との衝突を経験する近代まで、中国の生活レベルは、おそらく、世界最高の水準を保っていただろうからだ。実のところこれは日本も同じで、こと生活環境に関しては、幕末まで同様だったのではないか。そうでなければ、戦国時代、海外に日本人町が出現する理由を説明できないと思う。
もっとも、鎖国なんて言う馬鹿なことをしたせいで、頻繁に飢饉は襲ったがね。
さてこの、プラナカン博物館である。
入り口より入ると、吹き抜けの大きなホールがあって、その突き当たりが受付になっている。そこに待ち構えているのが、上掲写真のお姉ちゃんおよび、昔お姉ちゃんたちだ。

これはムカシトンボ。wikiより。
そして二階以上が展示室になっているというのは、アジア文明博物館と共通する、シンガポールのスタイル。


館内の様子がどんな感じかは、上のパンフをご覧いただければ分かると思う。
さて、それでは展示を見ようか、と、ホール脇の階段を上る。とここで、右膝がやや痛んだ。湿度が高くなると、たまにこういうことになる。ゆえに用意のストックを伸ばし、トントンと突きつつ、上に向かった。
この博物館は、ハイブリッドの新しい民族集団の生活を展示するだけに、日常生活にかかわる展示を主としている。

これなどを見ると、ハイブリッドではなく、むしろ現地マレー系の衣装だ、と言われてもはぁそうですか、と言ってしまいたくなるデザインだ。
しかし目を転じると、やはりここには興味深いものがある。

これは婚礼衣装の装身具なのだが、冠のベースになっているのは、明らかに中国明代の士大夫階級がかぶったそれだ。右が女性用、左が男性用だが、女性の冠に、ぴょこぴょこと宝石のたぐいが枝の先のように付いているのも中国そのものである。
ただし、のどから下を飾るアクセサリーは、紛れもなく東南アジアのそれだ。プラナカンが折衷民族・文化であることを、この展示からははっきりと分かる。
あと、もう一つ興味深かったのがこれ。

フラッシュ禁止だったので画像が荒いがご容赦。
この仕立ては、日本に住む私にはなじみが深い。特に、沖縄の衣装はこれそのものと言っていいかもしれない。つまり沖縄もまた、マレー・シンガポールとつながるアジアの海洋文化圏の中にある、と私は思うのだ。となれば、こうした文化圏とは一線を画した文化伝統を持つ内地の日本人にとって、沖縄が共に同じ国としてそこにある、というのは、大変な宝だと思うのだが。
シンガポールにイギリスの影響がどんどん濃くなってくると、プラナカン達の生活にも、洋風文化が取り入れられたらしい。これはおそらくは、上流階級に属するプラナカンの生活展示。

すぐ隣には、中華風の食卓の模様が展示されていたから、その違いは一層際だつ。それよりもっと一層違いを感じるのは、中華街の博物館で見た、中国風の生活そのものを保っていた華人の住まいである。
今日のプラナカン達が、自分たちをどこまで「華人」と感じているかどうかは、私には分からない。しかしこの島にやってきて、より多く現地に溶け込もうとした人々と、従来の生活・文化を変えようとしなかった人と、2つに大別できる、と言えるだろうか。
ところで、この洋風のキッチンを見ていて、私は館員にとがめられた。それは上掲した写真の左端、かつてお姉ちゃんだった人なのだが、杖を突いているのは物騒だ、ということらしい。
無理もない。見た目屈強そうなおっさんが、まさか杖を必要としているとは思うまい。ゆえにインチキな英語で、私の膝はコワれていましてねぇ、若い頃、山で痛めまして。と私が言う。なんとなく、警官に職質されたタチコマの気分で、面白くもある。

何を言うんだ。私はこれでも、れっきとしたこの子の保護者だよ。
大戦中、戦闘で電脳がこの戦車に癒着してねぇ。
全く、大戦を知らない今日日の若い者は…
とこの女性、とたんに「しまった」という表情になって、はいはいどうぞ、と首を振る。これで天下御免となった私、帰りは堂々とエレベータに乗って、このかわいらしい博物館を去った。

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