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シンガポールの川のほとりを歩いて、13時前にはアジア文明博物館(The Asian Civilisations Museum :ACM)に至る。まるで貴族の瀟洒な別荘のような、美しい建物だ。

ここでもなにがしかのお金を払って中に入る。正面玄関を入ると大きな受付で、2階から展示室が始まる。受付両側の重厚な階段を登っていくのだが、どことなく、歴史がある図書館のような雰囲気だ。
登りかけた途中で、あ、と思い出して引き返し、写真撮っていいですかここ、と受付の職員に尋ねれば、いいですよ、でもフラッシュはたかないでね、といわれて階段を上った。
この博物館、内部の手入れも大変よろしい。壁にもシミ一つ無い。

これまた例によって例のごとく、ほとんど人はいないから、ゆっくりと文物が見られる。まずはパネル展示の後、そこを過ぎるとシンガポール自身の歴史文物だ。
沖縄の県立博物館で見たのとよく似た、小舟が展示されている。

私は人類学・考古学的教養に欠けるが、船の形や船首の目玉でそう想像した。歴史的には、沖縄はその範疇から外れるものの、すぐ隣の台湾からここシンガポールあたりまで、かつてシュリービジャヤ・ビザヤンと呼ばれた一大海洋帝国があった事を想起した。
さらに展示室を進む。東アジア、西アジア、南アジアに区分された展示室がある。むろん、華人国家シンガポールゆえ、中国に関する展示が一番充実しているのはもっともだ。
これは「イノセンス」に出てきた、あの中華人形型山車である。

他にはこんなものも。

様式から見て、南北朝から唐代あたりの石窟寺院から持ってきたものだろうが、よくまあ中国政府が、こんな状態のいい文物の持ち出しを許可したものである。それとも戦前、調査と称して西洋人にかっぱらわれたものが、巡り巡ってここにあるのだろうか?
一方東アジアと言っても、日本や朝鮮半島に関する文物は見あたらない。それはそれで、シンガポーリアンの関心がどのあたりにあるか想像できて面白い。
ふむふむと感心しながら進んでいくと、見慣れた文物が現れた。

おお、ドンソンの銅鼓ではないか。古代ベトナムを象徴する文物として、気の利いた歴史教科書には必ず載っているものだ。若い頃、この写真を求めて、フォトエージェント巡りをしていた頃の記憶もよみがえる。
しかしシンガポールのような小さな国が、手間暇お金をかけて、外国であるベトナムの文物の本物を収集しているとは。例えばこの銅鼓、日本では東博か佐倉に1つあるかどうか、といったほどの貴重品だったと思う。あとあるとすれば、ヤマハに縁のある浜松の楽器博物館ぐらいかな。
この館内では、説明や監視のために学芸員その他がうろちょろしているという事はない。人が少ないシンガポールならではの工夫かとも想像する。とはいえお客をほったらかしにしているかと言えばそうではなく、あっちこっちに設置されたタッチパネルには、館員らしき職員の画像が映っていて、必要であれば触れて下さい、というからくりだ。

この肖像は動かないのではなく、ちゃんとリアルにカメラ回したと見えて、動いたり瞬きしたりしている。映っている人はタッチパネルごとに違い、おじちゃんだったりお兄ちゃんだったりするが、そりゃ若いお姉ちゃんの方がいいよねえ。
こういう知的な風貌の美人好き。こっそりキスしちゃおっかな。
西アジアの展示室に入ってみる。そこには、コーランの古写本、それも実物が展示してあった。

うわっ、これは少し驚いた。ムスリムもまた重要な構成員であるシンガポールにとって、イスラムへの関心が高いのは当然だが、こんな貴重品をよくもまぁ収蔵しているものだ。
そう驚くのはまだまだ序の口かも知れない。過去のイスラム世界の精華である科学技術の象徴として、これなるアストロラーベが展示してあるのはまあわかる。

腰を抜かしかけたのはこの展示だ。
イブン=シーナーの『医学典範』。

そりゃ写本ではあるのだろうが、それでも相当に古い実物である。キャプションをメモし忘れたのが残念だ。それはともかく、入手するのにどれだけ大変だったろうか。
おそらくコッホが細菌学を建てるまで、医学の水準はヨーロッパとイスラム世界とでは大差が無く、時代がさかのぼればなおさらである。かつて世界一の科学技術水準をイスラム世界が誇っていた事を、この本は象徴するにもっともふさわしい一つだ。
首を振り降り、他の展示室に入る。東南アジアのコーナーにいくと、やたらキンキラしたものが目に付いた。

う~ん。すごい遺物だってのはわかるが、この美的感覚は私の趣味に合わない。この一室の展示物は、おおかたこうしたキンキラキンだが、どうもねぇ、と程なく出てしまった。
次いで南アジア。昨日祭られていた、シバ神の頭像がそこにある。

見ればこれも、ちゃんとリンガである事が分かる。様式としては、こうして頭像が付いたものの方が古式のようだから、これまたインド政府が、よくも持ち出しを認めたものだ。
南アジアのコーナーには、こんなのもある。

はっはっはっは。思わず笑ってしまった。
インドの古いお寺には得てして、こうしたワイセ○な彫像があるものだが、それに関して思い出す事があったからだ。
私が若かりし日、歴史教科書の編集者だった頃の事である。著者であるエラい東大の先生のご下命により、巻頭グラビア用になんたら寺院とか言う、インドのお寺のカラー写真を探してきた。ところがその寺院の周囲は、この手の彫像でいっぱいであって、いざ載せる段になり、こういういかがわしい写真を、教科書にカラーででかでかと載せるのは、教育上いかがなものかという議論があったのである。
さ、一通りは見終えた。少々腹も減ったし外に出よう。
それにしても、小さなシンガポールが、これほどすごい文物に満ちた博物館を持っている事に、つくづく感心させられる。
この博物館は間違いなく、観光客寄せの娯楽施設ではなく、シンガポール国民を教育し、その教養を高めるための施設である。私は確信しているが、文字や本で説明されるのと、その実物に触れてみるのとでは、教育効果は格段に違う。それを理解しているが故のこの博物館なのだろうが、小さな国が生き残るには、とにもかくにも、国民の教育水準を高めるしかないと、李首相以下の政府が必死の思いで建て、充実させたのだろう。

ACM特別企画展、PATTERNS OF TRADE, Indian Textiles for Export, 1400-1900パンフより。(yahooブログより移転の際、画像破損)
奥の特別展示室で見たが、何でしたっけこう言うの、美術用語のグロテスク、ってのでしたか。
これまた、歴史的価値のある遺物だってのは分かるが、美術に興味ないから、よくわかんない。
かつて明治の頃、そりゃ軍艦や織機も買ったが、全国のすみずみまで、なけなしのお金を使って学校を建てた日本のことを、李首相は知っていたかどうか。おそらく知ってはいただろうが、今の日本人がそのことを覚えているかどうか。
今日でも、小学校というのはたいてい、その地域の一等地、例えば丘の上などにあるものだが、食う米省いて腹を空かせながら、それで学校を建てた明治人と、今のシンガポーリアンが、何だか重なるような思いがした。

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