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現地シンガポールの1500ごろ、チャイナタウン・ヘリテージセンターを出て、しばらくぶらぶらと、土産物などを探しながら中華街をうろつく。そう言えば、母親が扇子を欲しがっていた、太極拳に使うからと言って。
ただ、このあたりで見かけるのは趣味の悪い、ちゃちな品物しか無く、こんなもんわざわざB767に積んで帰るまでもないよな~、と思ってしまう。A市あたりの縁日か100均でも売ってそうだ。
街角でたばこを呑みながら、どうしよっかナー、と町並みを眺める。ここは裏通りなのか、道行く人も少なく、飲茶屋その他の飲み食い屋も、営業しているのかどうか分からないような有様。ちょうど香港映画に出てくる、どうかするとカンフーのストリートファイトが行われるようなところ。
一服し終わって歩き出す。あえて苦手な、人通りの多い横丁に入ると、少々小増しなしつらえの、中華物屋が現れる。そこには大増しではないものの、そこそこの扇子やら箸やらが売っている。その一つを手にとって眺める。ほう、清明上河図のやら、韓愈の詩の扇子か。

これならよさげだな、と考えていると、売り子のお姉ちゃんが寄ってくる。
日本人と見て、そこそこ流暢な日本語であれこれと売り言葉を言う。これはいいですよとか何とか。ただいいですよと言っても、彼女は内容的価値を分かって言っているわけではない。一般的に、華人のみならず本国チュコクチンも、自国の歴史文化には、全くと言っていいほど素養がない。宋と明のどちらが古いかすら知らない。
これはほとんどの日本人が、大昔はみんなタテ穴住居に住んでて、その隣に大仏が出来て、鋳上がったら戦国時代で、斬り合ってひょいと振り向くと遠山の金さんがもろ肌脱いでて、お裁きを言い終わると黒船が来た、その程度の歴史知識しか持たないのと同様だ。実際そう思ってないと、仕事になんなかった時期が私にはあったんですよ。トーダイ行くようなできのいい子でも、理系だとこんなもんだったしな。
だから華人の売り子を、チョットからかいたくもなる。チュコクコで話せる上に、彼彼女らにとっては古文で、読めもわかりもしないのを、ヘンな日本人のおっさんがすらすら原語で読み上げると、一様に目を丸くするわけだ。これは私にも狙いがあって、こうして振る舞えば何かとサービスが大きくなる、そんで心理的に圧倒してしまえば、妙に売りつけられることもない、という、これまでの経験からの詐略である。シドニーでもそうだったしな。
こうして扇子を選びつつ、さて支払おうとすると、お姉ちゃん最後っ屁で、銀の箸はどうですかと売りつけにかかる。私は毒殺を恐れる貴族でも朝鮮人でもない、要らない要らない。
まぁちょっとあてが外れたが良かろう。
ちなみにチュコクコは、相手を選ばずやたらと使うと、チュコクチンと間違えられて、却ってサービスが悪くなる、どうかすると苦力(クーリー)扱いになることがあるから、気をつけずばなるまい。特に東洋人の見分けが付けられない、オーベー人にはね。
実はかつて、オーストラリアかハワイからの帰途、チュコクコを口に出したわけでもないのに、JALの日本人スッチーにこれをやられたことがある。座っていたまわりが、ベルトは締めねぇは大声で騒ぐはサインが消える前に立ち上がるはという、デフォルトで行儀の悪いチュコクチンばかりだったからだ。俺ァ日本人だ、と、さすがに少し声を荒げた記憶が。ま、そのおかげで却ってその後のサービス良くなったから、それはそれで良かったのだけれど。
扇子屋を出て、今度は自分用の土産を買おう。さよう、駆風油である。中華街だけあって、漢方薬屋はいくつかあるが、どうもしつらえが高級っぽくて、却って金がかかるのではないかと危惧をする。そう、探しているのは、いわゆるまちの薬屋だ。
てくてく歩いていると、そんなおあつらえの店がある。店の前の歩道にテーブルを出し、女将さんとおぼしき華人が汁なしそばをすすっている。ぼんやり眺めていたらいらっしゃいと、女将さんが席を立って、くるくるととばりを開ける。

中に入るとありました、さすがに現地だけあって、各種各様の駆風油がある。これまたそれなりには日本語を使う薬屋のおやじが、どうのこうのと勧めてくる。ただし一々出して、中身を確かめるわけにも行かないから、おとなしく斧印を求める。
内服薬は…ま、やめとこ。
包みがやや大きくなったずだ袋を担いで、ぶらぶらと中華街を再びうろつく。とある狭苦しいところを抜けると、ぽん、と大きな風景が広がった。

シンガポールの中華街にあるからには、チュコク寺院なのだろうが、なんだか建築がそれっぽくない。チュコクと言うより、奈良京都風の日本寺院だよねぇ。それにそりゃもう、広角デジカメに入りきらないほどの大きさで、なんだか長岡の、うさんくさい稲荷神社を彷彿とさせる↓。

(撮影 by Sくん)
ガイドを開いて分かったが、これは仏牙寺と言い、「唐代様式」ということに、一応なっているらしい。

ならば京都奈良と似ていて当然だが、それにしてもチュコクっぽくない。額さえ派手でなかったら、擬宝珠(ぎぼし)と言い屋根の鴟尾(しび)と言い仁王像と言い、こりゃ日本寺院のパチモンで、チュコクじゃないよねぇ。
というのは、チュコクチンは何かと自国の歴史を自慢するくせに、ちっとも古い文化遺物を大事にしないからだ。何かと言えば、焼いて暖まったり砕いてカンポーヤクにしちゃったりする。文革の時にはご丁寧にも、肺が縮み上がりそうなチベットの高地にまでわぁわぁ出かけていって、お寺や仏像を、一々焼いたり砕いたりしてた。
そんなんだから、ご自慢の歴史も、自国には歴史書が残って無くて、大昔に日本に渡ってたのを逆輸入しなくちゃならなくなるわけだ。この寺も同様で、唐代の建築なんて西安に行っても、ろくに残っていないから、建築が新しいことから見て、京都奈良の寺院を参考に設計したに違いない。
ゆえにあんまりありがたいとは思わないまま、中に入ってみる。なんだかわからないが、境内には信者のたぐいが大勢うろうろしている。入り口から覗いてみると、キンキラキンの格好をした坊主が、大勢の弟子、そりゃもう100人単位のを従えて、中華風味の読経の真っ最中だった。


は~にゃ~あ。あああ~。ほぉ~ひぃやぁ~。ほ~も~おぉぉぉ。ひゃ~。
コソーリ撮ろうという意識もなく撮ってたら、動画でご覧の通り、寺男にとがめられる。ゆえに何もわからんふりをして直ちに離脱。本来宗教ってのは、やっかいだからな。
さあもう16時ちかい。宿に帰ろう。
てくてく歩いていたら、ちょっと上品なしつらえの駆風油屋があったので覗いてみる。
一番効くのはどれだと聞いたら、真っ赤なのを勧めてくる。少々お高いが買って帰ったことは、既に記した。
さらに歩く。ありがたいことに宿は高層建築だから、かなり離れていてもよく見える。

ゆえに迷うことなく、しかもぶらつくことも出来ながら、少しずつ距離を縮めていった。
帰り着いたら日が暮れた。

一風呂浴びて昨日同様地下街に行って、メシを食う。
今夜もシンガポールの建築現場は、24時間戦っていた。ごくろーさん、そいでは、おやすみなさい。

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