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リトルインディア駅で地下鉄に乗って、シンガポールのインド人街から中華街へ。直線距離にしてだいたい3~4キロと言ったところ。
地上世界なら中印国境は緊張地帯だが、ここでは仲良く暮らしてる?から、アグニ=ミサイル東風なんたら号が飛び交う恐れはない。

シンガポールらしく、地下鉄が清潔で安全なところは日本と同じ。混んでいないところは日本より快適。ま、これは時間帯によるもので、あえて比較することでもないか。
車体がややおむすび型になってるのは、さしずめ大江戸線と言ったところか。

そう言えばロンドンのチューブも、こんな形で丸くなってたが、もっと丸まっこさが激しく、東洋人の私でさえ頭がつっかえた記憶が。何せ歴史が古い路線だからねぇ。あのときは劇混みだったから、写真を撮ることが出来なかったのが今となっては残念。
パリのメトロも、例えば女の子一人で乗るのは危険だよ、と言われる程度の悪評を、事前に聞いていたからやや緊張したが、意外にも安全で、ベルサイユ方面から乗り入れた地下鉄にオペラ座近くで乗ったら、大学生らしきお姉さんが、一人で本読みながら乗っていた記憶がある。うん、フランスは飯がうまいし姉ちゃんがキレイだ。
さて、その名もチャイナタウン駅で地下鉄を降りる。

ホームドアがあるところは、新しい路線ならでは。このエスカレーターを上がっていくと、通路の真ん中にで~んと、女性のセキュリティが仁王立ちしていたところはいかにもシンガポール。
いや、まだマシかな。
パリじゃ、FAMAS突撃銃抱えた、外人部隊の黒人兵が警備してたもんな。それでもちょっと地下通路の角を曲がると、ギター弾いた大道芸人が居るところも、パリらしくて面白かったけど。
地上に上がる。
むむっ、らしいニオイがプンプンするぞぉ~! すなわち汚いまちにありがちな、あのクサ~いにおいである。そう感じてしげしげと駅やその周囲を見れば、どことなくリトルインディアやシティ駅よりも汚い。おお、やはりチュコクチンを躾けきることは、さすがの李首相にも出来なかったか、と思って歩いてたら…

そこにはドリアンの店が。下手人はこいつか。
駅から中華街に向かうには、大きな歩道橋で通りをまたがねばならない。渡りきったところは幅広くなっており、ちょっとした中華公園になっている。
そこでちょいと一服してから振り返ると、巨大なマンソンともおひすびるとも言えぬ建物がある。

手前切れてるのはダイキンの看板。ダイキンと言えばクーラー屋さんだが、この建物にはクーラーの室外機が、窓からたくさんぶら下がっている。かなり高いところまでである。こうやって乱暴にクーラー取り付けるやり方は、日本では昭和50年代ぐらいまでよく見かけられた。あれ、落っこちてこんのかね。
再び視線を下ろして下へと降りていく。

中華街はアラブストリートやリトルインディアとは違い、かなりの領域を占めている。従って今直前に見える通りの線だけが中華街なのではなく、平面的に広がっているわけだ。その地域を貫くタテヨコの通りは、おおむね車1~2台が通れるほどの幅で、その左右はいずれも、観光客目当ての売り物屋食い物屋である。ただそれらの店舗はいずれも屋台ではなく、おとなしく建物に収まっていた。
さて、博物館1軒を除いて、これと言って行く当てはないから、ぶらぶらと中華街をうろついてみる。さすがに人出は多く、まちそのものにも活気がある。とはいえ、客引きが出てきてどうのこうの、ということはない。本場チュコクの田舎だと、袖は引っ張るゼニはふんだくる、そのくせ商品渡さず逃げるという、すげえ事になるのだが。
今は1430の昼下がり。博物館目指してうろうろしてたら、とある一角だけ、高い塀で囲まれている。見上げるとそこには、あれやこれやの神様の詰め合わせが。

いや、ヒンドゥー寺院だけに仏さま?かも知れないが。
インド人街にもヒンドゥー寺院はあるようだが、ここ中華街にも、スリ・マリアマン寺院なるヒンドゥー教のお寺がある。
書いてる今、ものの本をひもとけば、このお寺はシンガポール最古のヒンドゥー寺院だそうで。元々はこのあたり、中華街ではなくインド人街だったらしい。
中に入る。お金を取られることはないが、決まりにより靴を脱がなくちゃいけない。暑いからサンダル履きでうろうろしていた私は、否応なく裸足にならなくちゃいけない。
しかしここ、赤道直下なんですぜ? お天道様に暖められた石畳が、夏の砂浜のように熱い熱い。ゆえに日なたでは小走りになり、ポイントポイントの日陰に避難、そこからお寺のあちこちを見物する。
ただし門を入ってしばらくは、屋根が付いているから落ち着いていられる。見上げれば建物の中にも外にも、いろんな神様がおいでになる。

このあずま屋は、ヒンドゥー寺院に必ずある、リンガを祭った一角だ。時間が時間のためか、境内にもこのあずま屋にも信者の姿は見えず閑散としているから、とくと聖なるあれこれを見物できる。

これがリンガ。教えに従って、ヨーニと組み合わされて鎮座ましましている。
リンガとはヒンドゥー最高神の1柱である、男神シヴァの象徴、そしてヨーニは女神の象徴。これ以上ははばかられるから、wikiにでもおたずね下さい
現地の知人によると、ここシンガポールで「ああこの娘かわいいな」と思うのは、たいていインド系だという。うむ、このあずま屋にも、そんなインド美女神がお立ちになっている。インド美女ある独特の美女、って、受験英単語の語呂合わせだっけ。

私がこれまで見聞きしたところによると、ヒンドゥー教徒は若い美女も、ああシヴァさまシヴァさまと法悦に浸りながら、くだんのリンガをなでなですりすりするらしい。そのリンガの先端からは、何だかありがたい液体が流れ出てくると言う。そしてそこにはいささかのイカガワシサもないと、お偉い日本のインド学の先生方はおっしゃる。
そんなはずないよねぇ。
さて覚悟を決めて日なたに走り出る。ふりさけ見れば屋根の上なる、あれやこれやの神様が、そりゃもうてんこもり。

いろいろとケシカラヌ事を書いている私だが、インド文明にはこれでも敬意を持っている。宇宙の究極の構造は時空であり、それは数によってしか人間には把握できず、古代、数にもっとも巧みであったのは、他ならぬインド人だからだ。今でもそうだし。
さらにお釈迦様のおっしゃる真理が、現代物理学の説くところと一致しているのは、そりゃもう驚くほどの高度な文明と言っていい。
ところが私にわからんことがある。そんな論理的で数学に巧みなインド人が、なにゆえこうも具象的でないと、神様を拝む気にならないのかしら。数学って、究極の抽象なのに。

神様は、ご覧の通り、極彩色かつ写実的に鎮座ましましている。装いや持ち道具で、それぞれなんという神様かちょっと判別しようかともしたが、足が熱いのと上記の不審さで、考えるのをやめてしまった。
まぁ、それにそれほど、インドの神様に私は詳しくない。日本と同様多神教であるインドの教えは、それだけに無数の神様がいて、しかも民族が入れ替わった古い国だから、あの神様とこの神様は実は同じ、とかいって、もう何が何だか分けがわからない。宗派によって言うこと違うし。
ただ思うのは、そのような、異教徒には混乱と見える混乱を、混乱のままほったらかしにしておきながら、矛盾無く引き受けて論理化し、一応のケリを付けてしまえるという、インド人の知性の底深さだ。ならばこのように神様がくっきりとしたお姿でおられるのは、明確な真理を具象化すれば、写実的になって当たり前ではないか、ということなのか。
まぁどうでもいいやそんなことは。暑いとどうも、頭がおかしくなってくる。
逃げるように本堂の反対側を回って門の方に引き上げると、途中別のリンガが鎮座していた。

う~む、こちらはなお一層、リンガらしい。

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