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アッサラーム、おやじさん。何度も炭取り替えてくれてありがとう、とイスラム街を振り返りつつ、今歩き始めようとしている。ここシンガポールのアラブストリートから、インド人街までは、それほど離れているわけではない。無論歩いてしまうつもりだ。

実のところやる気を出し始めたお天道様が照ってはいるのだが、湿度も低く風もある。赤道直下とは思えない心地よさの中をてくてく歩く。
ここはビクトリアストリート、現地時間の1時半。

規制によって、渋滞という困りものとは無縁であることが分かる。私自身はと言えば、かなり過激な自由主義者なのだが、こういう規制ならあってもいいだろうと思う。ただしこれをやるには、財界からも利益集団からも、孤立し突出して権力を持つ政府が無くてはならない。日本で渋滞を減らす努力が全くなされていないことを考えればそれは自明だ。いい加減耳タコで申し訳ないが、なんと無能で下らない政府を、日本人は持っているのだろう。
さてそんな事は忘れて呑気に歩く。ここシンガポールの公共交通は、バスと地下鉄の2本立てだが、バス停はよく整備されている。そんなバス停の一つを通り過ぎつつ、ふと見上げると妙な標示が。

どうやらシンガポールは、埼玉県であるらしい。
ここは地下鉄の駅とセットになっているバス停なのだが、いくら見回せど駅らしき入り口がない。ま、乗る必要はないから困りはしないが、外国で困るのはこういった、日本の常識に従って類推が効かないことだ。それが面白いのでもあるのだが。
行き行きて入間市の裾に至る。並んでいるのは雑多な商店。主にチュコク系を主体とする甲乙丙丁が、わいわいとたかっている。面白いから、ぐるりと回って見物といこう。
そんな小間物店の一つに、ヘンなのがある。

え~と日本の家というのはですね、もっとこう…とお説教をしたくなる。中に入ってみれば、売ってるものはどれもこれもmade in チュコクであって、中島みゆきのBGM以外、日本製品など一つもない。ええ、一っつもない!
その代わりあるのは、日本製だと偽って、日本語が分からない人をだまそうとする凶悪な製品ばっかり。こんなテー「プ」ル掛けとか。

そ言えばね、昔ネットをぶらぶらしていて、こんなのを見たことがある。テープル掛けもそのたぐいであろう。
私がガキだった頃、日本では外国製品と言えば高級品の位置づけで、ユニューモンなどという言葉ではなく舶来品と尊称していた。お船に乗ってはるばると、というわけだが、いつのまにかそれが変わって、国産こそ上等、輸入品はバッタ物か仕上げの悪い品物、ということになった。
さて今や、その立場はチュコクに取って代わられつつある。いまだチュコクはじめ非ヨーロッパ圏では、こんなニセモノを売らなきゃならんほど日本製品の信用は高いのだが、それはいつまで続くことか。
いつぞや、中国奥地の客家(ハッカ)が、要塞みたいな集合住宅の中で、さりげなくIHヒーターを使っているのを見て、そりゃ腰を抜かすほどびっくりしたことがある。そろそろ日本に住む者は、覚悟を決めねばならんのではないか。
チュコクチンのみなさんがわいわいたかる中を、もっとディープに潜ってみる。

まぁ食いもんはいいとして、その他はろくなものが売っていない。下品な色遣い、すぐに壊れ破れほころびそうなチープさ、いかにもギンギラギンで、買い手のノーミソを見くびったような品々だ。近頃では、子供でもこんなものは喜ぶまい。無論これは私の価値観であって、御徒町やA市の盛り場あたりに行けば、日本にもこの手の雑店はごろごろしている。港区には…無いだろうな。
それゆえ飽きちゃった。チュコクチンに揉まれる中を、さいふを気にしつつ抜け出して、通りに出る。大きな建物、といっても、シンガポールの建物は概して大きいのだが、そこを回り込もうとするとちっちゃな公園がある。ちょうどお昼時とて、日陰で働くおじさんが、弁当を使ったりごろ寝したりしている。
さらにてくてく歩いていくと、どうやら仏壇屋街に出たらしい。

仏壇と言ってもそこはチュコク圏だから、ほとけさまをお祭りするのばかりではなく、むしろ道教系の祭壇と言った方がいい。この原色と金銀をちりばめた色彩感覚は、チュコクならではであって、これは乞食から皇帝まで変わらないと見える。紫禁城を思い起こせばよく分かる。
ただ、ここシンガポールの博物館にも展示されていたが、概して上流階級の祭壇のたぐいは、いかにもなキンキラキンではない。

いや、キンキン赤々してはいるのだが、ほどよくくすませ、全体の調和を取り、落ち着いたしつらえが出来上がっている。趣味の良さ、と言っても、またもやこれは私の趣味に過ぎないが、それはとんがったものごとによって形作られるものでは、決してないように思う。
さらに進む。車の行き交う、そして工事箇所があっちゃこっちゃにある交差点を回ると、妙な看板がでかでかと張ってある。

何が良いと言って、親孝行ほどよいものはない。何がいけないといって、女道楽ほどいけないものはない、とお説教している。誰が貼り出したか分からないが、宗教団体だろうか? けっこうお金がかかると思うのだが。
と言ってもこりゃ苦しい翻訳で、「淫」を読み下せば「みだら」だが、チュコク的価値観で言えば、かみさんはもちろん、メカケや玄人とやるのは、いっこうに淫らではないらしい。あのお偉くおカタい宮崎先生が、そうおっしゃってたダヨ。俺ぁ読んだダ。それにそうでなくちゃ、あんなにチュコクチンが増えるわけがない。
いけないのは、素人の娘を、金ずく、権力ずくで無理矢理やっちゃう事だという。無論、金と権力、ひっくるめて要はゼニしか価値基準を持たないのが、世界共通の女、鳥類哺乳類のメスというものだから、やっちゃった後でちゃんとお金をあげれば、やはり淫らにはならないらしい。あげないから、どこぞのいつぞやのソーリダイジンのように、問題になるし非難もされるんだな。
さてこの看板を曲がりきると、急にストンと静かになる。寂れた商店?街を進んでいけば、目指すインド人街だ。さてこそわらわらとインド人が居るかと思いきや…意外にも居ない。
先ほどのアラブストリート同様、インド人は通りをうろうろしているのではなく、おとなしく店の中で番をしている。
そういった雑多な小間物店の集合の中へ入っていく。見られるのはいかにもなインド繊維製品、お香のたぐいだが、これといってさいふを開けたくなるようなものはない。一軒、神像のたぐいを売ってる店があってちょっと覗いたが、う~ん、これは良いお顔をなさっている、と言いたくなるようなのは無かった。

珍しく車通りの多い通りを横切り、すたすたと歩み去ることにした。なんと言いますかね、あんまり印象に残らなかったですな、インド人街は。事実、写真を撮ったのはこの一枚だけだし。
さて、それじゃ中華街に行こうか。ここから中華街まではけっこうな距離があるから、さすがに歩くわけにはいかず地下鉄に乗る。

自動改札を通ろうとすると、日本で言うSuicaにあたるカードが、ブッブーと機械に拒否される。あり、おかしいなと思い窓口に行き、お金をチャージしてもらうことにした。
Top up,please.とカードを差し出すと、窓口の地下鉄職員の時計が私と同じ。

同じですね~と職員に言えば、ああそうね、といったような反応が。お前何人だと言うので、日本人と答えて改札を通る。

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