(13)


お寺の前には門前町がつきものだが、ここサルタン=モスクも例外ではない。モスクそのものは比較的広い通りに面しているのだが、それとは別に、まさに門から伸びる小路の両側に、食い物屋やら土産物屋やらがあるわけだ。

そんな店々を眺め回すが、これと言って買いたくなるようなめずらかなモノがあるわけではない。いや、あるにはあるが、それは水タバコ器という、たいそう大がかりな品物である。高さは50cmぐらい、ガラス製だから、とても持って帰るのは無理だ。
ならばここで楽しんでいこう。そう思って再び店々を見回すと、その一軒にイスタンブル亭という小食堂がある。いずれイスラム系の人が開く店に入るなら、ここはトルコ人の店であろう。日本人の数少ない友人だからね。
店頭から眺むれば、いままさにおやじさんが開店準備中。水タバコ器も並べ、テーブルのセットやお掃除の真っ最中だった。
すみませんが、と声をかけると、いらっしゃいとおやじさん出てくる。見ればまさにトルコ顔、いにしえの剽悍なる突厥(とっけつ)*騎兵とは、かくありなんと思われる面魂だ。まるで職貢図(しょっこうず)**を見る気分。
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*突厥:日本の、だいたい古墳時代から奈良時代までの頃、今のモンゴルから中央アジアまでを支配したトルコ人の大帝国。その軍隊がむちゃくちゃ強かっただけでなく、独自の文字まで持っていた。歴代の中国王朝は、突厥騎兵に攻め込まれて泣きの涙、ついでに毎年貢ぎ物をカチ上げられるなど、たいへんな目に遭った。
**職貢図:貢ぎ物をお偉い中華皇帝サマに差し上げるためにやってきた諸国の使い、と中国人が称する人々を、中国人が描いた絵図。こんなの
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おやじさんに、水タバコを呑みたいと言えば、へぇ珍しいね、というような顔をして、どの香りのが良いかい、という。12ドル。
わからんから、おやじさんが好きなのにしてくれと言うと、うなずいて奥に引っ込む。階段を見上げて息子の名を呼ばわり、ご自身はタバコの準備を始めた。
繰り返すが水タバコとは大がかりなものだ。準備もそうそう出来はしない。

まずは器具の頂点にタバコ葉を載せ、そこに土器の覆いを掛ける。その上にはホイルを敷き、おもむろに炭火をおこさねばならない。ここまでに何分もかかる。
と見ればおやじさん、どこかに行ってしまう。あれ、と思っていると、裏口から炭火とそれを入れた鍋をもって現れた。どうするんだろと見ていると、おやじさんゆったりと、鍋を振って火を熾す。


火が十分熾きるまでにも、ずいぶんと時間がかかる。おやじさんは注意深く、火の加減を見つつ鍋を振る。私もまた、この一連の作業を面白く眺める。実にのんびりした時の流れだ。
ようやく、火が熾きたようだ。大きな炭火を細かく砕いて、小石から小指ほどの大きさになった炭をホイルの上に、そろそろと載せていく。

載せ終わっておやじさん、煙道のねじを調節しつつぶくぶくと吸い込む。ややあって、さあ、これで調子が良くなった、という表情をして、新品のマウスピースをねじ込んでホースを私に渡した。
それでは、やりますか。
すぅ~う。ぶくぶく。
口の中に、たばことミントの香りが広がった。うむ、うまい。
水タバコは煙草と言っても、煙を吸うわけではない。炭火から発する熱気を、煙草の葉に通して、さらに水で漉し取る。いわば煙草の精分を呑むわけで、ちっともゲホゲホする感触はない。
そして気分がなんだかおおらかになる。すなわちすぱすぱ吸う、のではなく、すぅ~(ぶくぶく)とやってしばらくぼんやり、そしておもむろにまたすぅ~(ぶくぶく)。
インドやイスラム圏では役立たずのおやじどもが、こうやって一日中何もしないで水タバコをやっていると聞くが、なるほどさもありなん、同じく役立たずのおやじである私とは、何とも相性がよろしい。本当に一日過ごせそうだ。
そうこうするうち、てっぺんに載せた炭が灰になる。

頃合いを見ておやじさんがやってきて、炭火を継ぎ替えてくれる。何か飲みますかとおやじさん言うので、トルコ名物の甘~いリンゴ茶を注文する。
冷たく冷やされたリンゴ茶をやりつつ、なおもすぅ~ぶくぶくを繰り返していると、今度は息子が出てきて炭を継ぎ替えてくれた。

ふと気付けば、お天道様もようようやる気を出されたと見え、モスクの金色ドームがまぶしく光る。すでにお昼は過ぎているが、まだお祈りは始まらないらしい。

わたしはかの、アザーン*を聞きたくて時間をつぶしている、こともあるのだが、それをいいことに2時間近く、こうやって水タバコを吹かして過ごしているわけだ。何とも気分がよろしい。
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*アザーン:時間が近づくと、お祈りにおいで、とモスクから呼びかける声。よく中東の映像で見聞きするあれです。聞きたい方はこちら
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とそのとき、やっとアザーンが響き始めた。時刻はもう1時を回っている。すっかり堪能しましたとおやじさんに言い、おやじさんも笑顔でそれに応える。ずいぶんと、たくさん炭を熾してもらったが、日本人っぽいのが水タバコやりたいなんて、珍しいのが来たと思ってそうしてくれたのかしら。全てを使い切れなかったからなんだか悪いナー。
私は支払いを済ませてモスクに向かう。
無論、私はお祈りに行ったわけではなく、ましてや覗きなどという失礼をする気もない。イスラムのお祈りとはどのようなものかと、その雰囲気だけでも近くで感じようというわけだ。
モスクを取り囲む塀を巡っていると、中からかすかに、お祈りの声が聞こえる。アッラー(神様は)と聞こえた続きは、おそらくはアクバル(偉大である)、なのだろうが、その後半は小さくて、かすかに聞こえただけ。ふむ、人は神様と話をするとき、密やかにするのがお作法なのだろう。
さあ、インド人街に向かおう。
ここで一つあった。
取り出した地図を腰にねじ込んで歩き出そうとすると、ミスター、ミスターと声がする。ろくでなしの私は確かにマスターではあるが、ミスターじゃないだろうと思ってそのまま歩いていたら、なおも呼ばわる声がする。
振り返れば中国人らしき身綺麗なおっちゃんが、地図を落としましたよと教えてくれていたのであった。利なくば一毛をも抜かず、がチュコクチンのたしなみだが、やはり群鶏の中に一鶴あり。子供を数人連れていたから、おそらくは大陸か台湾の観光客なのだろうが、ここからも、全ての中国人が千ャン⊃口ではないことが分かるのであった。

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