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4/4、シンガポール2日目。
今日はこの国を構成する、各民族のまちを訪れてみよう。
一番多いのが華人で3/4、次に多いのがおおむね回教徒であるマレー人(14%)、その次がインド人(8%)だ。英領時代は、各民族ごとにまちを作って分かれて住むようにされていたらしいが、今はもうそんな事はない。しかし当時の名残で、いわゆる中華街、イスラム街、インド人街が今でも残っているという。
出かける前に腹ごしらえをする。普段私は、朝食を摂らないが、この宿は朝食込みなのでせっかくですから。しかもここのところ1日1食で済ませていたから、食いだめをしておこうとの魂胆もある。
階下の食堂に出向く、1フロアのほとんどを占める大きな食堂があり、日本で言うバイキング形式で食事が出来る。
ところが。糖質制限食を摂ろうにも、肉らしきものはドイツ風ソーセージが数種類しかない。こんなにたくさんの料理が並んでいるというのに。あとは甘ったるいソースがかかった、中華風のあれこれだ。これでは物足りないから、やはりここは米食をせずばなるまい。崑崙山の仙人よろしく、「ただ今戒律を破ります」と一礼、え? どこに向かって?

米を食おうといろんな壺を開けてみる。インド風白飯、日本風白飯、炊き込みなど。インド風がぱさぱさなのは想定内だが、日本風も同様だった。どうやら炊いたのではなく、蒸したらしい。う~ん、ジャポニカ米を蒸しちゃったら、おいしくないからもったいないよん。
上述の通り、この食堂は相当にでかい。白黒黄色の様々な連中がわしわしとメシを食っているのだが、黄色いのの中に日本人らしき人物は見あたらない。その代わりを占めるのは、ご存じ大陸チュコクチンだ。
私の隣に、そんなチュコク家族が陣取ってメシを食っている。全部で10人ほどか、ジジババからガキまでそろっている。着ている格好を見るとけっこう洗練されていたから、都市部の、相当にカネに余裕のある連中と見た。しかしそこは名だたるチュコクチン、マナーというのにはとんと無縁である。
オスのガキ、小学校低学年ぐらいだろうか、そのチュコクガキが、カトラリーのナイフを手に取り、わーわーと中華風味の雄叫びを上げて振り回し、走り回っている。秋葉原事件の再現ビデオか。私との境は、1m四方ほどのガラスが、床から直に生えたついたてによってまず仕切られており、そして通路、そしてまたガラスのついたて。すなわち各テーブル区画のまわりはガラスのついたて、その間が通路というわけだ。
ガキはふたたびナイフを振り上げると、自分ら近くのガラスついたてに、ガンガン斬りつけ始める。かなり大きな音を立ててである。言うまでもないがナイフは金属、ついたてはガラスである。それを見た親ども、いや、見てさえいずほったらかし。
そこへ妹とおぼしきメスのガキもやってくる。兄妹でガラスを挟んで対峙し、今度は何をするのかと見ていたら、両側からガラスにとりつき、ぶら下がってがたがたと揺らし始めた。
繰り返すが、ガキがさるのようにぶら下がっているのはガラスである。そりゃ強化ガラスなんでしょうがね、こうがたがた揺すられちゃ、いずれは、根元から破砕されるであろう。親どもの一人がふとそれを見るが、何の反応も示さずメシ食い再開。ガキより団子、というわけか。
あれだな、若年死亡率がチュコクで高いのは、こういったことも理由の一つだな。
大陸奥地で見る、いかにも汚ったねぇチュコクチンがこれをやるならまだ分かる。しかしそこそこ洗練された格好のチュコクチンであっても、所詮千ャン⊃口は千ャン⊃口なのであろう。マナーどうこう以前に、物理的にガラスにどういう事をすればどういう事になるかという、現代文明では当たり前のことが分からないらしい。こんな奴らが核兵器を持っているのかと思うと、なんだかぞっとせずにはいられない、書いてる今では。
ただその場の私は、どうなるのかな~と、さる山見物に行ったような気分で眺めていた。気分はムツゴロウ先生だな。こういったあれこれを経験するたび、群れとしてのチュコクチンを人間として対等に見ろというのは、そりゃもう無理である。ただ何せ人数が多いから、すごい人、立派な人もいるがね。それに日本人も最近、チャ○コライズされてるのが多いし。
食事をテケトーに切り上げて出かけることにする。門前の喫煙所で吹かしながら天を仰げば、お天道様は今日もお休みを決め込むおつもりらしい。

こりゃ都合がいい。赤道直下でお天道様に照らされりゃ、私は干物になってしまう。
てくてく歩いて、すぐ近くのラッフルズホテルの前を通り過ぎる。このホテルは1887年創業という老舗で、シンガポール最高級のホテルとして有名である。

日本で立ててた計画では、このホテルで英国風のハイティーを楽しむつもりだった。しかしお値段を調べたら、5000円近くするという。貧乏人の私にはそりゃ無理だから、前を通り過ぎるだけにしておく。
歩くには地図が手放せないが、標識のたぐいも見落とせない。ここシンガポールの看板は、おおむね英語で表記されているのだが、観光スポットに限っては、日本語の記載もちゃんとある。

近年、海外では日本語の表示や、日本語のパンフレットは見かけなくなった。そういえばgoogleの漢字変換のデフォルトは、すでにチュコクコである。国力の低下がこうしたところからもよく分かる。しかしシンガポールに限っては、今だに訪れる日本人が多いのか、こういった気配りが継続されていた。
街角にはところどころ、バイクが歩道に乗り上げて停めてある。法律にうるさいこの島のことだから、停める場所が決められているのだろう。

既述の通り、この島のバイクのほとんどは働くバイクであり、それゆえ100~200cc程度のタイカブっぽいのが多いが、ここでは珍しく重戦闘機を見た。
お天道様はほどほどに照る。車通りは少なく、おおむね静かだ。それゆえ、ピーチクパーチクと小鳥の声がする。日本では見かけない鳥だが、さて何という鳥だろう。自分の教養の無さが恨めしい。

さらにてくてく歩く。ところどころに、チュコク風のチキン屋(ダック屋?)があり、窓にはいかれちゃったチキンの皆さんがぶら下がっている。マイケル=ホイが出てきそうな光景だ。

こうしたチキン屋の前のテーブルには、たいてい、ヒマそうなチュコクチンのじいさんが陣取って、数名で茶を飲んでいる。これで小鳥のかごでもぶら下げていりゃ、もう完璧と言っていい。しかも時刻はまだ11時。いかにもな中華風風景と納得しつつ、チキン屋の前を通り過ぎる。
さて、喧噪な工事現場やどでかい摩天楼やらを通り過ぎ、いよいよイスラム街、アラブストリートに近づいた。

ご存じのようにシンガポールというのは清潔なまちで、きちんと整理されゴミ一つ落ちていないのだが、それはやはり表看板というもの。雑多な諸民族が混じるその民族街とあっては、そこそこ雑然としているのが理の当然というものである。
人ト気の少ない裏通りを通りつつ、お目当てのモスクに向かうとするか。

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