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今はシンガポール時間の1400ごろ、しばらくはこの、かなたに金貸しどもの摩天楼とにせベネチア、こなたに木々と私がいるこの界隈をふらふらとうろつく。

ふらつくとここで言うのは、見るもののあれこれが楽しいからである。少年期の終わりまで、わたしはこういう感覚を保っていた。何かをするとか、食うとかいった物的触感なしで、目だけで楽しいというやつである。
しかしその後の2~30代、すっかりこの感覚が抜け落ちて、何のために旅に出るのやら、すっかり分からなくなっていた。観光とはよく言ったもので、光景を観る行為が楽しくなければ、すでに観光にあらず。食うなり買うなり、やたらとゼニが無くては楽しめなくなってしまうらしい。
ただありがたいことに、おっさんになったとたん、この感覚がよみがえった。とすれば私の青年期は、何だかずっと布団蒸しにされていたようなものである。
それはある日、暑苦しい覆いが突然飛んでいって、ふわふわと目だけで楽しめるようになったのだ。ありがたいありがたい。
さて今立つこなたの岸には、アジア文明博物館はじめ、シンガポールの文化施設や旧跡が集まっている。さほどの歴史を持たないシンガポーリアンにとっては、自分の今の立ち位置を再確認するための場所でもあるようだ。それゆえによく整備されてい、ご当地らしくゴミ一つ落ちていないのはもちろん、地面はきれいな石畳、あちらこちらにはベンチが整備されている。
その旧跡の一つが、川縁に建つこれである。

はてどっかで見たような、と記憶を検索すると、おそらくはシンガポールの建設者、ラッフルズの上陸記念碑であったはずである。近寄ってあれこれ眺めてみたが、それらしき看板が見あたらなかったので確信は持てないが、たぶんそう。
この碑をあとにてくてく歩くと、博物館の前に、ホーおじさんが現れた。

私の好き嫌いで言うなら、私は日本のアカを、ヤクザと同レベルで大嫌いなのだが、たとえアカどもがほめる人だろうとも、立派な人は立派なのである。
なるほど、シンガポールの人は、外国人であろうともアジアの偉人を、自分たちの祖先の一人と考えることで、今の自分が何者かを考えるよすがとするらしい。
なるほどねぇ、ふむふむと感心しながら歩いていると、その視界にはこんな人が。

…タ、鄧大人? う~ん、いくらアジアの著名人だと言っても、これはちょっと違やしませんか。それともチュコクの衛星国として、シンガポーリアンは生きていこうというのかしら?
小首をかしげつつなおも歩くと、今度はこのお方。

うん、ネルー首相は何となく分かる。ただこうした感覚は、いわば私の趣味であって、シンガポールの人には、また別の考えがあるんだろう。
さてこの顔ぶれならば、当然あってしかるべき人の銅像はどこに、ど探すが偉人シリーズはこれでおしまい。さよう、ガンジー先生のことである。
そう言えば耳学問で、現地インドではガンジーさんにあまり人気はなく、むしろ欧米人がやたらと持ち上げるのだ、とインドの人は言うのだと聞いた。となればシンガポーリアンの意図としては、自分たちの精神的立ち位置を、欧米ではなくむしろアジアに置こうと言うことか。
ならば我が日本からも、1人ぐらい銅像の立つ人が出ても良さそうなものだが、戦争という経過を経た後とあっては、そういうわけにも行かないだろう。例えばここに、金日成とか東条英機とかの銅像が建つようなもので、そうなればもう、判じ物になってしまうに違いない。
さてそういった妄想を楽しんだ後に、さらに進むと、なにやら趣(おもむき)の異なった銅像が見える。近づいてみれば、ずるそうな清国人が、いやがるインド人とむりやり商談をしているのであった。

やだっ! 売らない、売らないって言ってるでしょうがこのアヘン、そんな値段じゃ。
あなたチョト欲張りアルな。それタメね~。もっとまけるアル。
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なるほど、今のシンガポールの3/4を占める中国系と、何分の一かを占めるインド人を象徴するわけだ。
私はどっちかと言えばインド人の方にシンパシーを感じるから、こそ~と後ろから近づいて、商談に熱中している清国人のそろばんに、チョイチョイといたずらをする。

アイヤー、何するアルか! この猪首男!!
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いたずらを楽しんでなおも進む。するとなにやら白いものが、シリを川に向けて立っているのが見える。ほう、ここが、ラッフルズが上陸した地点なのか。

日本のような歴史らしい歴史を持たないシンガポールにとって、
ラッフルズの上陸が事実上の国の始まりなのだという。1819年、彼は一旗揚げに、ここで川から上がってきたというのだが、ならば彼はカッパのたぐいか。
この像を、珍しげに若いロシア女性3人ほどが眺めていた。
とその時水音がする。見れば小さな屋台船のたぐいに、白い連中が乗せられている。ぶぅたったぶぅたったの楽団も、場違いなカンツォーネを歌う船こぎもいないが、にせベネチアを背景に、なかなか楽しそうではある。

川から眺める光景はどんなもんだろうと思って、ほど近い船着き場の切符売り場にに寄ってみる。
いくらだ、と聞けば、70ドルだ、と言う。
高いッ! 高ぁ~いッ!! 4900円も出せるかそんなん。すんませんねぇと言って断り、川縁の散策を終えた。

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