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伊豆大島より東京に帰るかめ丸だが、この上り便は雑魚寝の2等席を取った。

昼間便だし、帰れば自宅で寝ればいいからである。
すでに島は遠く離れ、お天道様が沈むのも近い。

この東京湾での船旅だが、独りで出かけた初航海は、大学3年の北海道ツーリングだった。当時はまだ、東京~苫小牧便があったのである。

島へは既述の神津島のほか、小笠原に2度ほど。1度は家族とクルーズ船で、もう1度はお願いして貨物船に便乗させて貰った。

いしかり丸と共勝丸。共に07年、正月と夏。
その時に思ったのは、東京を離れ島で過ごして俗気が抜けると、私のような人でなしでも人間がマトモになるが、帰りの船が東京に近づけば近づくほど、俗なことや下らないことが頭をよぎって、元の木阿弥ということである。いやホントに見事なものだ。
それともう1つ、東京湾はとんでもなく過密な海であることも知った。貨物船で行った小笠原の帰りは、旅人の間では何かと有名なおが丸だが、カンボジア国籍の船が突然進路を横切って、あわや衝突かという瞬間にも立ち会ったことがある。ずっと見てると、概して程度のよろしくない国の船の操船は、やはり程度がよろしくない。

左はおが丸。枕元にゃハナから洗面器備え付け。 右はなぜだか知らんが礼文島で漂流してたカンボジア船、06年夏。ビノで見ると、乗ってたのはロシア人と思しき連中。船はボロボロ、んで助けを求める気配も無し。駐在がずっと見張ってた。一体なんだったんだろうか。
今回は大晦日の航海だからだろうか、東京湾は今まで見たこともないような空き具合だ。またこれは加齢のせいだろう、俗なことが頭を、っていうのは、ほんのチクと思ったに過ぎない。
さて大部屋での雑魚寝といっても、島への人の移動は高速船が中心だし、大晦日の上り便ということもあって、至って空いている。定員の2割程度か?
かめ丸の構造は戦前の古い配置を引き取っており、2等船室は船底の窓無し部屋である。とは言え、今でも特等・1等以外は、船室に窓がないのはどの国内客船でも当たり前だから、気にはならない。
空いた部屋でしばしごろごろする。しかし退屈のあまり再びデッキに出てみると、房総の鋸山や三浦の城ヶ島が見えてきた。

時刻は16時から1630ごろ。風景にも飽きて船室に戻る。今度は本格的に寝てしまう。
目が覚めたのは、横浜港に着きます、とアナウンスのあった頃だ。かめ丸は日程によっては、この横浜港に寄ることがある。
港内を見ていると保安庁の船が見える。近年の緊張を反映してか、大型船がそれも複数停泊している。よく見るとあの船は…おや、世界最大の警備船、しきしまじゃないか。

(画像はwikiより拝借)
東海汽船は酔狂なことに、横浜-東京間の運賃も設定している。お値段は1640円と、決して安くはないが、手軽に船旅気分を味わえると、この区間を乗る趣味人もいるという。
横浜で降りるわけでもない船客が、港見物とて下船口にたむろしている。私もそのひとりである。と暗闇の中から、3、4人のいかつい男がタラップを上がってくる。「へぇぇ! 乗る人いるんだ!!」とびっくりしている船客も。
しかし男々が下船口の明るいところに至ると、驚いた船客は「あ、職員か?」という。左様、今時工事現場でしか見られないような、しかもその色使いは何ともくすんだ、石油かぶちゃったようなモコモコのダウンジャケットを、男々がそろって着ていたからだ。
男々は黙って船員さんに切符を手渡す。ここで私はピンと来た。1人を除いて、いずれも見事な大陸顔である。
申し訳ないがこの状況だから、私は緊張することになる。横浜東京間は、JRに乗ればたったの450円、それをわざわざこの船に…一体ドシテ?
男々は黙って険しい顔つきのまま、ホールに至るとそれぞればらけた。うわぁ。
さて横浜を出港し、海の同じ側ばかり見ていると飽きてきたので、反対側のデッキでたたずむ。ふと気配を感じて振り返ると、男々の1人がこっちに出てきた。ほかには誰もいない。ややっ、とあたりを見回せば、あっちの方に掃除用のデッキブラシが目に付いた。キキはこれで空を飛び、男の子を助けるが、杖使いはこれで人をぼてくる、こともできる。逃げるまではしないが有事には備えようと、かさこそとそこに移動する私というのは救われない。
八方眼でそれとなく警戒していたが、いい加減バカバカしくなってきたので船室に戻る。ワイヤーでロックはしてあるが荷物も心配だからだ。それを担いで再びデッキに出ると、川崎・大田区あたりの工場の煙突が、火ィ吹いているのがよく見える。製油所だろうか?
やがてかめ丸は東京港に近づいた。

かつての日本の夏の風物詩、行水女は絶えてしまった。同様に、海にかかる橋を下から見るというのも、こういう機会でないと見ることが出来ない。ゆえにカメラを取り出して、レインボーブリッジを下から撮る。
撮っていてふと振り返ると、男々の一番若いのとそうでない1人が、オサレなデジカメ出して、うれしそうに記念撮影している。やれやれ杞憂だったかと安心して、撮りましょうかと声をかけると、若いのがそこそこ流暢な日本語でお願いしますという。年配の方は黙っていたから、若いのが郷里の一族を、呼び寄せてプチ旅行しているのだろう。それにしても、よくこのショートクルーズを知っていたものだ。
ほぼ定刻の1935時、かめ丸は竹芝桟橋に着岸した。

船を下りればメイト君も降りてきたところ。数時間ぶりにわが乗騎と再会。

港を出れば帰りは過たず、陋宅への道をまっすぐに進む。大晦日ゆえ都心の道も空いており、普段がウソのようだとは誰もが思うだろう。

ゆえに快走、と行きたいところだがそうはいかなかった。何だかギアが引っかかる気配がする。ほんの数時間前の伊豆大島では、何ともなかったのに。

用心して控えめにメイト君を走らす。家に帰るまでが遠足だからね。
ところが今度は、エンジンがぐずり始めた。やばいよこりゃー、と思ったところで信号停止。コックをリザーブに切り替えれば、何事もなかったかのようにエンジンがかかる。やれやれ。出発時に満タンにしたのが、ぴったり空になったわけだ。
ようやく陋宅が近づいた。この旅もいよいよ終わりである。

2030頃、帰宅。
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この旅は、近年なかったほどのよい旅だった。
若い頃より放浪癖のあった私は、時々の生活が公私どのようになろうとも、旅に出ることは欠かさなかったが、この10年あまり、その興味を失いつつあった。

理由は単純で、1つは加齢のためものに驚かなくなったこと、1つは国内なら、たいがいの所は行き尽くしたとの思い込みがあったこと、そして最も大きかったのは、旅に出ても、ろくな出会いがなかったからである。
それゆえ、出がけのぶよぶよ1人を除いて、会う人みないい人だったというこの旅は、ふたたび旅への興味を膨らました。まさに、乾いたスポンジに、清水を垂らしたようにである。
加えて私のものの見方に、いくつかかかっていたもやの一つが、この旅で晴れたように思いもする。
だからといって今後の旅が、今回のようなものになるとは限るまい。その時運によって、とんでもない奴だってまた現れるであろう。
だがそれでもよかろう、それも旅のコストの一つだと、今この瞬間は考えることが出来ている。
加えて旅に出たあと半月も、こうしてブログで楽しむことが出来る。

読者の方には申し訳ないが、私は私の都合で勝手なことを書いているわけで、この記事もまた、私の娯楽であり、忘れないうちに書き留めておいた記録である。
…今はこうして、生を愉しむことを許されているわけだ。
知命娯生 天命を知り人生を娯しみ、
啓智養心 智力を啓(ひら)き精神を養い、
練技鍛身 技術を練り身体を鍛え、
呑烟喝酒 たばこを呑み酒をば嗜(たしな)まば、
千秋萬歳 千秋万歳のあわい、
安樂未央 安楽なること、いまだ央(つ)きざらん。
さて次はどこ行こうか。

あ、荷役の親方と漁協のおばちゃんと婦警さんにああ言っちゃったから、とりあえず伊豆大島にはまた行かにゃ。

(終)
伊豆大島再訪記

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