(2)


竹芝桟橋には以前行ったことがある。学生の頃神津島に、社会人になってから小笠原に。しかしバイクで行くのは初めてで、道をどう行って良いのかはわからない。
そんでもって私は、その道を調べもしない。というのは、まぁナビ君に任せりゃ何とか行けるでショという気持ちからだ。
ところがナビ君が言うことを聞かない。ディスクが入ってませんぜダンナ、などという。おっかしーなー、パカッと開けると入っている。ウソつき~。んで再起動させるとぶ~んと動き始めた。
安心して走り出す。ま、始めの所はよく知った道を行くので不安はない。ところが東京のど真ん中に入った頃、ナビ君がヘンなことを言い出す。
後日調べたら、拙宅と竹芝の間はほぼ一本道なのだが、あっちこっちでチョロチョロ曲がれと言う。年末も押し詰まりなので車が少なく、走りやすいのは有り難いのだが、どんどん知らない道へ知らない道へと誘導されると、さすがにこりゃどうも変だぞと思い始める。
とうとう銀座に出てしまった。
他の場所と違い銀座というのは、いつもいつも路駐の車がびっしりで、ついでにタクシーやら、むやみに金のかかった車やらが、走るでも停まるでもなくうろうろしている。そんな渋滞の中をすり抜けながら行こうとすると、馬鹿でかいハマーなんぞに煽られる。金は良識を持った者が持つべきだ、または金持ったんだから、せめて良識ぐらい持ちなよ。
もう竹芝なんぞどうでもいい気持ちになりかける。あらかじめ道ィ調べておかなかった私が悪いのだが、それでもさっさとこの忌々しい所から抜け出てしまいたい。
やっと抜けて、ふと見上げると「<=竹芝桟橋」の看板が。やれありがたや、街灯も少なくなった道をトコトコとメイト君を歩ませる。 想像以上に時間がかかって、2020ごろ、竹芝桟橋着。と、でくでくと太った例の組織の連中の一人に、イチャモンを付けられてややへこむ。俺、何も悪い事してないぜ。
気を取り直して手荷物預け所に向かう。するとメイト君にくくりつけた荷物は全部下ろせと船会社のネエちゃんが言う。くっついている箱のたぐいも、ホントは外さなきゃいけないんですよね~、とか、さんざんイヤミも言う。バイクを船に乗せる際、こんなことを言われるのは初めてだ。
離島の船会社というのは儲からない商売で、補助金が出なくなったら即アウト、色々大変なのはわかる。仕方なく担げる荷物は担ぐが、一番大きなダッフルバッグはどうにもならない。もう面倒くさいのでこれも預ける、500円也。
また気を取り直して待合所に向かう。ちょっと早く来すぎたかな。閑散とした大きな待合室には、釣り客やら帰省する島民の方と思しき人々が、三々五々時間を待っている。ベンチに座ろうとしたら、あさっての方から来た人に座られてしまう。どうもゲンが良くない。ただし、しょんべんを垂れるついでに取った自分の表情を今見ると、大して落ち込んではいなかったように見える。
さらに気を取り直して外に出る。すると今夜私とメイト君を乗せてってくれる、かめりあ丸が泊まっていた。
後知恵だが、島の人たちはこの船を「かめ」、姉妹船のさるびあ丸を「さる」と呼ぶらしい。
風はなく、冬期乗騎装束に身を固めているので震え上がりはしないが、それでもぼんやりとこの冬空の中過ごすと、さすがに寒くなってくる。くわえて取り立ててすることも無し、本のたぐいはさっき預けてしまった。見回せば同じような人々が所在なげにしており、その向こうの暗いところには、いくつかのテントが張ってある。船待ちの人なのだろうか?
することがないのですることは一つ、こんな寒空には強い味方がある。これすなわちウォトカである。
無論現地で呑むつもりで持ってきたのだが、寒さ防ぎとばかりチビチビやりだす。
しかしまだ理性が働いていると見え、呑んじまったら酒無くなって買わなきゃならんよと思うから、ほどほどにしておきながら過ごす。
そうこうするうちにアナウンスが入る。準備できましたから乗って下さいというのではなく、荷物やバイク預けるなら早くしろと言っている。すでに出港30分前を切っているが、ならばこんなに早く来ることはなかったわけだ。ま、世の中そんなもんだろう。
やがて出港10分前になって、ようやくゲートが開き、船内に入った。
今夜のねぐらはちょっとお金を足して、2等寝台を取った。翌朝起きたら山登りだから、体力を温存しておこうと思ったのである。ただしお客さんの数から見て、普通の2等室でも良かったように思うが、個人スペースが確保されるのは有り難い。
ベッドはまぁ国鉄時代の3段B寝台と言ったところで私のは上段、枕と毛布が1つ付く。ただしマットはなく絨毯のみだから、丸めてあった銀マットをそこに敷く。
どうやら2等室より2等寝台の方が大入りだったようで、下段2つに老夫婦、向かいの上段に中年の紳士、いずれも丁寧な挨拶を交わしてそれぞれの床に就く。
普段の船旅なら心が高ぶって、出港の際はデッキに出、手なんか振っちゃったりするこの私だが、先程来のあれやこれやから、今夜はおとなしくカーテン閉め、先ほどの酒盛りの続きに入る。
それでも銅鑼が鳴って船出のアナウンスが聞こえると、誘われるようにねぐらから出た。ほぼ定刻の2200、かめ丸は竹芝を出港する。今だもやってあるのは姉妹船さる丸、八丈とかに行くのかな。
竹芝のシンボルである帆柱の電飾なんぞを眺めながら、なかなか盛り上がってこない旅情はどうしたものかしらと考える。ま、オヤジですからね、若年の頃のような感慨を望むのはぜいたくじゃろうて。
ふと振り返ると、緑に塗られたデッキが広がっている。この緑色には思い出がある。あれは大学1年、合宿で神津島に出かけた時のことだ。船がこのかめ丸だったかどうかはわからないが、船内はそれこそ人でいっぱいであって、船室には収まらずデッキにまで溢れていた。夏だから寒くはなかったが、私と一行はこのデッキで、毛布一枚かぶって寝た覚えがある。今でも夏のこの船は、あんな風景になるんだろうか。
ふたたび首を前に向けるとレインボーブリッジ。かめ丸はゆっくりと、東京港を出て行く。

(つづく)

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