(11)


1340ごろ、新潟西ICより北陸道に入って、いよいよ帰途に就く。

天気は深く曇り、まだ昼下がりというのにこの暗さである。雲の隙間から漏れる光の筋が、何やらお迎えのような有り様で地表にまで届いている。
Sくんは車転がすのに忙しいから、私はこう言った好みの風景を篤と堪能する。もし私が車持ちで、自分一人で転がしているなら、こんなBGMをかけたいところだ。
道の右手に、先ほど反対側を抜けた弥彦山が見える。夕日や月の出が大きく見えるように、一面の水田の中では、たかが?* 5、600mの山が2、3000m級の高山に見える。
道の左手は、これまた同様一面の水田だが、はるか遠くに新幹線の高架がすっと一筋通り、景色にアクセントを付けている、画像じゃちょっと見えないが。
新幹線と高速とは、つかず離れず平行しているが、時折近づいて大きな駅などが見える。これすなわち燕三条駅であり、見え方としては笹塚あたりで首都高から見える、明治大学のそれに似ている。
北陸道から関越に入って南下、丁度ここは昨日痛飲した長岡市の郊外だが、町並みはあまり見えない。
さらに下って、越後川口SAに向かう。と言うのも、も一度あのうまいおこわを買いたいがためだ。
しかし昊天憐れまず、うろうろ探したが上り側には売ってない。あきらめて再度高速に乗る。
行きしなに見た風景を、左右所を変えて見る。やがて道は、山峡にさしかかる。

山の端と山の端が重なり合い、そこに薄雲がかかって見えたり見えなかったり。写真じゃのっぺりした景色にしか見えないが、実物は遠近感抜群で、かつ、刻々と変化していくのは雄渾である。チュコクから入った水墨画が、我が国ではなぜか山水画ばかりになったのは、この国土の影響だろう。私は芸術はさっぱりわからんから勝手な想像だが。
道の右手には、昨日左に見たバブル駅が見える。となればいよいよ関越トンネルに入るわけだが、ゆえに越後ともお別れだ。
ここに至るまで、トンネル抜けたら最後、もうあのおこわは見つかる気遣いはないと覚悟してたから、未練たらたらの私とSくん、SA・PAがあるたびに車を乗り入れ、「おごわはいねが~」とばかり探し歩いた。
探した所泣ぐ子゛はいねがったが、おこわもまた見つからない。仕方がないからPA付設の食堂に入り、魚沼コシヒカリを使ったと謳うカレーとおにぎりを食す。
このカレーはうまいものではない。ただしそれはルーがいい加減だからで、20年以上前の某専門学校の生協食堂を思い出す。ただし米はやはり絶品だ。なんなら米だけで食いたいくらいだ。しかしあのおこわには及ばない。Sくんともども不可解な顔をして食べ終わるが、ふと見るとSくん、も1つおにぎりを買い増して食べている。うん、その気持ちはよくわかる。
トンネルを抜けて今度は上りで谷川岳PAに入る。おっさんがニコチンが切れたと騒ぐからである。
喫煙所は最近の流行に乗って、PAのはしっぽに掘っ立て小屋が建ててあり、その中でドア閉めていぶされろと言う。いくらタバコのみだって、燻製にされたらたまらない。ゆえにすこしドアを開けてみるが、その外側には団塊おやじ安保残党おやじ(即ち50代)どもが集まって、悠々と煙草を吹かしている。ルール無用の悪党とは奴らのことだ。
さて出発しようと車に戻れば、赤い舶来の四駆が入ってくる。四駆はそのまま身障者用スペースに入り、絵に描いたような俗な女房子がわらわら、まるでカマキリの孵化のようにハコから下りてくる。みな丈夫そうに歩いており、気の毒な人など一人もいない。転がしていたのはヒゲ生やした同年代と見える男で、家族ともども、車同様なかなか金のかかった格好をしている。なるほど決まりを守っていては、小金持ちにはなれない道理である。かような敵心を挟むトモガラは、治罰したいところだが、それをやればお手々が後ろに回る。誰か成敗してくれい。
再び走り出すと、トンネルの中で珍妙なものが行く手に見える。抜けてよくよく見ると、お尻にはニセフェラーリマークが付いており、宇宙巡洋艦と書いてある。
空も飛べそうさ、カカカカタ☆オモイ


Sくん面白がって、宇宙巡洋艦を抜いたり抜かせたり。重爆撃機に乗ったオッサンなら、間髪入れずぶち抜いてしまっていなくなるから、こういったシャチが獲物をいたぶるような遊びは出来ない。
関東平野に下りて行くに従い、ようよう雲が切れてくる。

行く手には行きしなに見た帝国海軍のような山々、そこにあかね色の西日が当たって、なかなかの光景である。
しばらく見とれていたら、うっかり宇宙巡洋艦にぶち抜かれてしまう。
あ、まただよとSくん共々ゲラゲラ笑うが、他に車中の退屈を紛らわす遊びもある。
それすなわち腐゜利薄遊びである。かの力-を見かけるたび、どんな奴が転がしているのかと見れば、来る奴来る奴必ず団塊である。発見からこの間、Sくんも私も一切無言なのだが、そろってひょいとかの運転席を見たとたん、爆笑となる。やはり腐゜利薄に乗るような奴は、希林のビールを飲みコーガイに建て売りなんかローンで買いもれなくリーマンで団塊で知的低能な生き物と決める。
そろそろ夕闇が迫ってきた。

すでに伊香保を抜け前橋あたりである。
景色には家々がびっしりと埋まり、「まち」に帰ってきたんだなという感覚を覚える。
さて高崎で道を左に取り、北関東道に乗って東進する。と言うのは、オッサンがわがままを言って、東武沿線で下ろしてくれろと言うたからである。
しかしそこはSくんさすがのタマで、じゃ東上線沿線でいいですかという。帰朝するのに、関空行きのチケットを渡されるようなものである。これが天然かどうかは別として、若い者に敬されつつからかわれるという感覚は、私は嫌いではない。
昨夜の雨夜の品定めを思い出し話しつつ、最後の用意とてPAに寄る。書いてる今地図を見ると波志江PAのようだが、コンビニもありPAとは思えないほど広くて立派だ。
再び闇の中を走り出すが、太田市に入る頃になるとぽつんぽつんと街灯が目に付く。むろん伊勢崎市内とて街灯はあるが、太田の明かりは紫だちたぁる。
太田桐生で高速を下りれば、そのわけが判明する。すなわちLEDランプだったのだ。スバルのお膝元だからというわけでもあるまいが、新技術は好意的に迎える土地柄と見える。なんでも太田市は、LED街灯を全国に先駆けて取り付けた街だそうだ。
太田市街に入れば道は1車線の典型的な地方の道だ。ゆえに渋滞しつつそろそろと進むが、闇夜の中で目を懲らせば、スバルの工場の塀に、地元の小学生の書いた壁画らしきものが見える。
1740ごろ、太田駅着。ここでSくんとはお別れだ。2日間、どうもありがとう。
Sくんは素早く車を走らせ、見送った私はうっかりツアイスを取り落としてしまう。ソフトケースに入れておかなかったら、大泣きに泣くところであった。
(*帰宅して調べたら視界にゴミが。改めてうわぁ~ん。そんで後日、自前でバラして修理した。精密機器だけに、双眼鏡の分解修理とはやっかいなものだが、前一ぺんメーカーに修理依頼したら、日本じゃ出来ないからはいドイツ、なんてことになり、目玉が飛び出そうな金額を請求されたことがあるからである。)
暗闇の中で拾い直し、気を取り直して私らしき事を始める。すなわち鉄ちゃんとして、たまの特急乗り鉄を楽しむのである。
太田駅はかなり立派な作りだが、閑散として人ト気がない。まだまだ夕方だと思うのだが、週末の地方都市とはこんなものだろう。
電光掲示板を見ればジャストタイミング、まもなく浅草行きの特急が出る。発券機に取り付いてあれこれ操作するが、最後の支払いでカードを呑んでくれない。
カードを変えてもやはりダメ。そのうち人っ子一人いなかったはずの私の後ろに、若いご婦人が立って切符を買わんとする。あわてて場所を譲るが、どうぞというので有り難く現金で買う。
ホームに上がれば、りょうもう号が待っていた。

車内はがら空きである。これはありがたい。
行きの合切袋に加えて、酒瓶数本と魚1パック、その他あれこれをかついだ私にとり、全部網棚に上げるのは気ふさぎだからだ。有り難く隣の座席に荷物を置き、有料特急に乗るぜいたくな雰囲気を、出発までの10分弱、うふふと楽しむ。同好の士でないとわからん感覚だろうが、たかが800円でシヤワセになれるのだから安いものだ。
ふと窓からホームを見ると、そのはしっぽに女子高生がいて、この寒いのにぱんつ丸出しでぼんやりしゃがんでいる(画像左中央あたり。IPゲッターもクリックカウンタも付けてありません)。
あれはバブル崩壊期からだろうか、あるときを境に女子高生のスカートはぐんぐん短くなっていった。こう言うのもバブル期、母校の隣にあるゆえに、毎日校門の前を通り過ぎる、あるやんごとなき女子高の生徒は、当時こんなに短いのを穿いてなかったような記憶があるからだ。
その後予想どおりその高さは、あるところで高止まりしているが、寒空の中あんな格好でいなきゃいけないとは、こればかりは彼女らに同情する。
定刻通り太田駅発。しかし館林に着くまでのしばらくは、路線は単線だから、所々の駅で行き交う普通列車とかを待たせながら、駅を飛ばしはするが速度は飛ばさない。ゆっくりトコトコとりょうもう号は行く。
市街を抜けてしまえば一面の闇で、目に付く何ものも全て遠景だ。路線は一旦北に迂回して、渡良瀬川に近づき足利を経由するが、その後は一路北千住に向かう。
利根川を渡って埼玉県羽生市に入るころ、路線がよくなっていることに気付く。座席が車両中央であることもあり、車両がそもそもよいこともあるが、揺れ騒音のたぐいが少なく静かだ。鉄ちゃんとして路盤を気にすることはままあるが、概して私鉄はJRほど、線路が重厚な造りになっていない。中京地区の某私鉄など、大手ながらついこの間まで、その揺れたるやすごいものであった。
基礎というものは見えないが、実は一番お金がかかる工程でもある。この点東武はお金をかけて、頑丈な線路を敷いたと見える。
このころになってくると、さすがにちらほらとお客さんが乗ってくる。ただ埼玉の盛り場的都市では下りる人もあり、北千住や浅草まで乗り通す人は少なさそうだ。
定刻通り北千住着。ここから乗り換えて陋宅に向かう。
いつもの旅とは異なり、終わった後のぐったり感はない。さてこそ大名旅行とはいいものだ。

(C)ほりのぶゆき
あらためてSくんありがとう。
(完)
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*たかが5、600m:これじゃ山の神サマに失礼だ、私は無宗教だが自然の偉大さがわからぬ男ではない。

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