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まだ寺泊をうろうろしている。魚屋街は総延長2~300メートルといったところか。くちくなった腹でぶらぶらする。それゆえ、店先に並べてある海産物が、ほんの20分前と違い、さほどにうまそうには見えない。「空腹にまずいものなし」とはよく言ったものだ。
1軒1軒の店の規模は、都会地の魚屋4軒ほどの大きさだろうか。小学校の教室3つ分ぐらいの敷地に、地元・全国・輸入物、鮮魚加工品とあらゆる海産物がそろっている。また、手入れがいいと見えて、魚屋独特の、体調が悪い時には吐き出しそうなあのニオイがないのは感心である。

それぞれの店に、これといった違いはない。価格も全く同じと言って良く、どこで買っても後で悔しがることにはならなさそうだ。そう思いつつ、魚屋街のはしっぽに行くと、1軒だけ刃物屋が店を開いている。
小さな店だが、観光客向けか古風な作りになっている。金物刃物を収めたガラスケースが所狭しと並んでおり、そのスキマを抜けつつ店の奥を見れば、巨大な刃物を背後にした小さな畳敷きの空間に、店主が鎮座ましましている。不埒者の私としては、地震が起こったら阿鼻叫喚のちまたになるであろうと想像する。
魚屋さん御用達の店が一般向けにも店を開いたのだろうか、燕・三条といった金物屋の街を抱える越後だけに、結構濃ゆい金物刃物が置いてある。例えば魚さばく専用の包丁とか、そば切り用の包丁とかである。
観光地の刃物屋だけあって、山刀とか危ない刃物も置いてある。鍛冶屋のまねをしに、千葉の刃物屋さんへ数回修行に行った私としては、もはや珍しくとも何ともないものだが、キツネ目をした団塊ガキの、日本人だが白い人が、トランペットが欲しい黒人の少年状態になってケースにくっついている。店主はそこは商売で、あれこれ白い人の相手をしつつ、売れるよう話を持っていく。
これといってぞっとするような道具はないので刃物屋を出る。駐車場へ帰りつつ、行きしなに目を付けた魚でも買って帰ろうかと思案する。ただし、鮮魚をSくんの車に乗せてもらうのも気が引けて、おっさんはこれまたトランペット小僧のように、シャケの半身パックあら・かしら付きを見やっている。送ってもらおうかと送料聞いたら、東京まで1000円もすると言う。
シャケのアラなど安いものだ。だからこそ買おうというのだが、2000円の品に1000円の送料じゃバカバカしい。
ところがそうこうするうち、Sくんが魚屋と何やら交渉し始める。どうやら近海物てんこ盛りパックを買うようだ。ならばおっさんもここは、シャケパックを買うことにする。これで1週間幸せだ。
他には越後名物笹団子なんぞを買い、駐車場に向かう。一旦上がって日が差したかと思えば、再び雨がしとしと降ってくる。
せっかく近くまで来たのだから、海を見ていこうと海浜に出る。おっさんは普段から、軍靴のようなドタ靴でうろうろしているから、砂地ぬかるみは気にならない。対するまともな人であるSくんに、そんな靴で大丈夫なの、と聞けば、大丈夫ですと答える。
幸いにも再び雨は小雨だ。見れば砂浜だが、岩があれば東映のオープニングになりそうな海の模様である。海ぎわには若い連中が数人、海と戯れている。気の毒にもおネエちゃんはいなさそうだが、男連中だけでふざけるのも悪くはない。
すると突然、突風と共に大粒の雨が打ち付け始めた。まさに驟雨というやつである。傘など全く役に立たない。
若者たまらず、わぁわぁ言って海から逃げ散る。私はレインコート着てるし平気なのだが、そんな装備なしのSくんが、泰然として雨に濡れるに任せているのは立派である。
思えば戦争中、軍部や役人ども相手に一歩も引かず(この時Wの連中は日和りやがった、ああ情けねェ)、同時に戦前戦後を通じて、アカどもに対しても一歩も引かなかったことで名をはせた、K塾の名塾長小泉信三先生は、SK戦(KS戦などと言う日本語はない、無いのだよ!)の最中突然の雨に、塾生連が騒ぎ回るのを苦々しく見て、人間雨に当たったぐらいで死にはしない、大学生と海軍士官は、ゆっくり濡れて帰ってこいとお説教したそうだ。Sくんは、その薫陶よろしきを得ているのだろう。
車に戻れば地面には、妙なキノコが生えている。なんとなく気になったか、このブログでなにかのくすぐりに使おうと思ったのか私はカメラに納めたが、今そのギャグが思い出せないのは癪に障る。
魚積んで曇り消しぶぅぶぅふかして、視界が確保されたら出発だ。
道はこのまま北上だ。どこと言って当てはないが、海沿いの道を進んでいく。このルートは私にとって、バイクによる全国伊能忠敬計画の切れ目になっている。
日本の田舎道らしく、所々に大型のドライブインのたぐいがあるが、みな申し合わせたように廃墟となっている。私がなじんだ昭和の風景は、こうやってあちこちで消えていく。それもまたよしである。

道の左手は海、右手は弥彦山だが、直線距離では燕市など、越後平野とそれほど離れていない。しかしこの海岸は、平野がそのままうっかりして海になりました、という生半可な風景ではなく、荒々しい岩がむき出しになっている。

こういう風景を私は嫌いではない。たとえるなら北海道を、小樽から北上して雄冬岬を抜け、荒涼とした風景を駆けるオロロンラインに似ているといったところか。
寒いと言うほどではないものの、雨が上がらず湿度が高い。Sくんは曇り止めを少々ふかしているのだが、油断すると窓はすぐ曇る。
ツーリングマップルによればこの先に、絶景のポイントがあるという。角田岬である。
道については、「佐渡が一番近くに見える快適なシーサイドライン」とある。なるほど佐渡が見えそな気はする。しかし今はどちらかというと、孤軍征旗、雨を冒して万里をゆく、と言った方が似合いそうな雰囲気である。
案内看板が良くわからず、たぶんここならんと車を停める。空と海はやはり薄暗く、Sくん血湧き肉躍りそうな写真を撮る。
マップルにせかされて双眼鏡取りだし、Sくんともども佐渡を見る。佐渡のあたりはところどころ、雲の切れ間から日が差している。
天から垂れ下がった光の筋が、海面に当たってきらめいている。それは記録には止めがたい景色だが、記憶には長く止まるだろう。双眼狂の言う、写真は撮るもの、ビノは記憶するものとはこのことだ。Sくんもそれなりに、風景を楽しんでいる模様である。
一方自作の頭巾を、かっぱ皿のようにかぶったおっさんは、これ幸いと心躍る風景を見ながら煙草を吹かす。

振り返れば山はすっかり紅葉、海の景色と相まって、盆と正月が一緒にやってきたようなぜいたくな見物だ。
かなり長くたたずんだように思ったが、実際に角田岬にいたのは10分足らずである。人間の感覚など当てにならぬ事をここでも知るが、ゆえに人間の生とは面白い。
道はとりあえず続けて北上だが、特にこれと言って目当てがあるわけではない。鉄の箱に乗ってはいるがぶらぶらと、気ままにうろつくのは悪くない。

しばらく進んで新潟市に入ると、視界が開けるが防風林に遮られて海は見えない。まるで草原の中を進んでいるようだ。
やや雲が薄くなり、車の数も増えた。今や政令指定都市である新潟は、市域だけでも巨大なまちになったから、このような景色もまた、新潟市内なのである。
やがてどうにか郊外らしいところへ至る。
とSくん、ナビが狂って困るという。見れば車は、河口の水中を走っていることになっている。まるでボンドカーで楽しくなる。
せっかくこの間、データ更新したばかりだというのに、とSくん重ねる。
いやSくん、そうでもないよ、今年版のツーリングマップルでも、今通る橋は点線だ。
なるほど橋は新しい。ナビ君の冤罪が晴れたところで、車は曲がって駅をかすめ、街らしい街を通り過ぎて新潟バイパスへと入る。(つづく)

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