(8)


酒車に積んで1030ごろ、出発。

本降りとは行かないものの、雨はしとしと降っている。昨夜のイメージとちょっと異なり、長岡の街はやや寂しげである。駅からちょっと離れると、やはりシャッター通りには違いない。
さてどこ行きます、とSくん。そうね、まずメシにしようぜ、とおっさんはわがままを言う。しかし街がこの有り様では、メシにありつくのも容易そうではない。
んじゃちょっと郊外に出てみますか、とSくん。この瞬間では二人とも、河井継之助記念館やら山本五十六なんたらとか、市内のスポットを訪れる気でいた。
長岡大橋渡って信濃川の左岸へ。牛丼屋のたぐいはあるが、なんだかなぁという気がするし、Sくんもそう見えて何も言わず車を止めようともしない。
橋を渡りきったところで、Sくん不意に右折する。信濃川沿いに北上しようというのである。
しかし国道を外れたこともあってか、道はどんどん寂れていき、メシ食えそうなかまどの煙もない。
はるかに人家は見えるも人煙絶ユ、と言ったところで、とうとう郊外、ではなく、ほんまもんの田園風景に出てしまう。一面の刈り終わった水田の中、目につくのは大きな農業サイロのたぐいだけ、しかし道路そのものはご立派だ。やはり角さん現象ならんとSくん共々言い交わす。
風景がこうなっては、もう記念館やらメシのたぐいはあきらめるべく覚悟を決めた。
しばらくすると道は、信濃川の堤防上となる。
雨はしとしと降り続き、大河ドラマに便乗した、そのうち滅びそうな直江兼続ランドを別にすれば、左右にはこれと言って特筆すべき何ものも見あたらない。しかし気分は悪くなく、うむ、いい雨だと言いたくなってくる。
なにゆえか? 
今は何話したか忘れてしまったが、閉じた空間で気兼ねなくおしゃべりに耽るというのは悪くないものだ。また、別に何もしゃべらなくたっていい。それぞれがそれぞれなりに、今の時間を楽しんでいればいいし、楽しくなければまぁこんなものだとぼんやりすればいい。
特筆すべきものが何も無くとも、絵巻物を追っていくように風景は変わる。それは十分に珍しい見せ物だし、そう思えなかったとしたら、それは見手の人間力が低いのだ。例えば私が地学の先生だったとしようか。刻々変わる信濃川の変化に、驚喜して何事かを、自分自身かSくんに語ったに違いない。
タモリさんの話だが、東京から新幹線に乗っていたら、どこかで聞いたような声がする。見れば奥さんとご旅行中の、竹内均先生だ。
地球物理学の泰斗とて、先生奥さん相手に、
「コノ、カントーロームソーガ」
と、地学の講義を延々と、新大阪に着くまでなさっていたという。
偉いのは奥さんだ、という話は今は措いて、何でもない風景だろうと、楽しむことは十分可能だ、という、一つの例である。
さらに話を脱線させようか。
ぶんがぶんがどんどん、ピカピカちかちか、耳目を引くような何かがなければ楽しめないというのは、女コドモか、つち百姓のすることだ。それにつけ込んだ商売人が、せっかくの風景を台無しにするという例を、私はもう飽き飽きするほど見てきたではないか。
昭和の末から今世紀初め頃まで、北海道をツーリングした者なら、誰でもこれは同意してくれると思う。
日本の北端と言えば宗谷岬だが、当時そのあたりには、観光客を目当てに下らない商売人が、うわぁーっと集まっていた。
おとなしく集まって前掛け締めて、並んで頭下げてるのなら問題はないが、あろうことか連中は拡声器をそこらじゅうに取り付けて、耳をつんざくばかりの大音声(だいおんじょう)で、♪りゅーひょーとーけてー、と騒音を流したものである、それも朝から晩まで(24時間という噂も現地で聞いた)、おそらくは365日!
これは対する南の襟裳岬でも同様だった。ただし拡声器の弾丸は、♪えりぃものぉ~、はるぅわ~あぁぁ~、だったが。
巨大なバラック建ててろくでもない食いもの高く売りつけ、頭ん中が割れるような音波兵器を最大出力、そんな連中は不況と共に滅び、そうした下らない迷惑行為も無くなったが、ならば不況とはよいことではないか、とまで思う。
金さえあれば愚行は目立たず、ろくでもない人やものが横行する。ま、金が無くなったら無くなったで、別種の悪しきものどもがはびこるのだが。
寺泊の駅が近づいたところで、信濃川と別れ一時内陸へと入る。
Sくんの車内BGMの趣味は悪くない。中には面白いのもあって、広東語の流行歌なんてのもある。香港に留学したSくんが、気に入っている歌々なのだが、帰国後あちらからの留学生を車に乗せたところ、なんだ香港のタクシーみたいじゃネェか、と苦情を言われたと聞いて爆笑した。
道路の画像の奥の丘を超せば、そこはもう海である。
道が日本海沿いの402号線と交わる頃、珍妙な食い物屋兼やどや兼フロ屋が現れる。
一見かに将軍の出来損ないみたいな建物だが、看板たるカニの表に何か描いてある。一瞬で車は通りすぎてしまったのでそれこそショットでしか撮れなかったが、ITのおかげでその勇姿を拾うことが出来た。
こういう趣味は私は嫌いではない。おばさんが出てくるストリップ劇場しかないような田舎の通りを、なんたら銀座と名付けるのは大正昭和人の悪趣味だが、地方は地方でオサレのまねなどせず、地道に人を笑わせようというのはあっぱれな心意気である。
人を怒らせたりうんざりさせたりするのは簡単だが、笑わせるのはなかなか出来ることではない。
車はやがて、寺泊の港の右手を通過する。ここからは佐渡への船が出ているはずだ。しかしまだ営業前なのか、それともやめちゃったのか、出る気配もない中ぶねが、雨の中一隻もやってあるだけである。
ものは異なるが、あの佐渡に行く船に、私は乗ったことがある。
やはり昭和の名残で、船は佐渡への海上ずっと、♪ありゃありゃありゃさ~、とおけさを流していた。佐渡に着こうが帰って本土に上がろうが、同行の友人共々、しばらくはその歌が頭をぐるんぐるん回って離れない。今はあんなことも、もう無くなっているのだろうか。
さていい加減、腹が減った。メシどうします、とSくんが言うので、ツーリングマップルを取り出す。見ればこの先公園沿いに、魚屋が建ち並んでうまいものを食わせるとある。じゃあそこにしましょうとSくん言い、そのまま車を北上させる。(つづく)

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