お大師さんちに行く

2011.11.1。週末、天気は抜けるような青空だった。
思い立って東武電車に乗り、西新井のお大師さんちへお参りに行くことにする。

以前、『旅と鉄道』誌にも取り上げられていたように、大師線は単線で、たった一駅区間、距離も1キロしかないし、大師前駅は分岐もない線路1本だけの行き止まり駅にも拘わらず、ヨーロッパの終着駅を思わせる立派な作りである。

消息によると、東武は本来、大師線を延長して、今の環七沿いに上板橋まで、環状線を造るつもりだったらしい。

すなわち、たかりを事とする住民がわぁわぁ集まって、無理難題をふっかけられてしまう。
それゆえ東武は、大師前まで線路を引いたところで嫌気がさし、そのまま放置することになったという。
↑こちらは本家欧州、ロンドンのパディントン駅。

そうこうするうちに路線免許も切れ、結局今の姿に落ち着いたのだが、大師前駅の立派さは、ことによると東武の未練がそうさせたのかも知れない。いっそ北千住から、路線伸ばせば良かったのに。

駅から西新井大師まではすぐそばだ。

その経路は本来の歴史的な参道とは違って、境内の横から入ることになるが、その沿道には週末とあってか、屋台出店のたぐいが並んでいる。

もっとも、時間がまだ早いこともあって開店はしておらず、房総の魚を焼く準備をしているおっさんやらが、シートを外して組み立てている最中だった。

境内に至る前、寺の出店というか飛び地と言ったところに、大師堂が建っている。コンクリ造りガラス張りエアコン警報装置完備の近代建築だが、設計は伝統的な八角堂で、それなりの風情がある。

実のところ雰囲気としては、私はこの大師堂まわりの方が本堂周辺より好みなのだが、それというのもいつ来てもここは閑散としており、人目をはばかることがないからだ。

大師堂の裏手に回る。

石壇の裾には、ずきんによだれかけを掛け、手に手に風車を持った、まるで水子地蔵のようなお地蔵さんが並んでいるが、1つ1つに四国八十八箇所の寺名が記されているから、いわゆるミニ遍路を兼ねているのかも知れない。

もっと不気味なのは裏手の薄暗いところに積み重ねてある、苔むした古い墓石のたぐいだ。
まるで織田信長が召し上げた石材のように、無造作にそれらが積んであるが、建て替えで不要になったのか、それとも供養する人がいなくなって整理されちゃったのか、いずれにせよアハハと笑えるようなものではない。

刻まれた戒名などを読むと、そこそこ余裕のある檀家のもののようだが、いくら金掛けて墓など作ろうとも、あんまり意味はないことを思わせもする。

私とて、あ、こりゃお参りせにゃならんなと思うのは、せいぜいじいさんばあさんぐらいであって、それより昔の人となると、ほとんど会ったこともないから至って無関心だ。

墓なんぞそんなものである。
いい加減切り上げて本堂の方に向かう。

本堂周辺の境内は、物売りやらがわんさかと出、てんでに店を出している。
一番目立つのは悲しげな食い物のたぐいである。

こうやって店を出しているところを見ると、生活できる程度には客が来るのだろうが、放射能のコナが飛んだとか言って東北の野菜や魚を食わない向きが多いというのに、こういった怪しい食い物を食う連中がそこそこいるというのは解せないことである。

これはその時の気分でしかものを決められない、長いバクチは全く張れないという、女コドモのすることだと思うが、私も時として、女コドモになってみたいという気がしてたまらない。
ただし、食い物ではなくヘンなものやインチキ話を売る店はいただけない。

こう言ったところによく見られる、おもちゃやガラクタそのものの書画骨董を売るのはまぁいいとして、占いやそれにかかわる品物は、私にとってインチキの象徴だからだ。

もっとも、人相手相を見て、あなたにはこういう傾向があります、あるいはこうだからこういうことに気を付けましょうという、過去についての言及ならば納得も出来るが、未来はこうなりますとか、未来をこう変えてあげますとなれば、それはインチキというものである。ましてや水晶玉と称するただのガラス玉を、子供の喜ぶようなキンキラキンの台座に乗せて売るなんぞは、悪徳そのものに私には見えるのだ。

無論、お参りしたことのいわば記念として、そういうものを買ってもいい。しかしそれなら、もっとわかりやすいお札お守りのたぐいを私なら選ぶわけで、人の趣味は様々であるなぁと、今思いながらこれを書いている。

本堂に向かう。

栃木の山奥にある佐○厄寄せ大師*と違い、自分から言い出さなくても関東の有名大師であるだけあって、立派な建物である。以前、なにがしかの金を出し、本堂に入って護摩供養をやってもらった事があるが、あれは一度見物すればそれでいいから、今回は入らない。

加えて何かをお願いしに来たわけでもないから、テケトーに小銭を投げておこうとがま口を開けたら、500円玉とか100円玉とかしか入ってない。私はものすごいケチでもあるから、目を皿のようにしてがま口をかき回すと、5円玉が出てきた。ところがこれはこれで結構小心者だから、5円じゃまずいだろうということでがま口をひっくり返すと、やっと10円玉が1枚だけ出てきた。

今思い直せばたった5円の差だが、悟れぬ凡人なんてそんなものだ。金額とは別に、精神的なコストというのは、案外ばかにならぬものである。

チャリーンと放って手を合わせ、「えー、お大師サマお大師サマ。ご挨拶に参りました」とだけ念じて目を開けた。さすがに「チャーリー様チャーリー様」とは念じない。

本堂を下りて参道をまっすぐ、境内の外に出てテクテク歩く。
実は私にとっての西新井大師とは、年に1度のおごりの場所でもあって、参詣の帰りにウナギを楽しみにしているのだ。

ところがまだまだ時間は早く閑散としており、店々のおばちゃんやらコゾーやらが、石畳を竹箒で掃いている始末。さすがにダンゴ屋は開店していて、やたらと食ってけ買ってけと声を掛けるが、あの名物ダンゴなるものもとうの以前に食っているから、わざわざ買うには及ばない。

それにめげず、いつも行っている、江戸時代から続くという老舗に入ろうとすると、団子屋も兼ねているその店は、キチンと開いていて店の中にも電気がついている。

店の前面で団子番してたおばちゃんに、「あいてますか」と聞くと、ウンともイイエとも言わず、どうぞどうぞとだけ応える。いやそうじゃありません、開いてるかどうかを聞いているのですと重ねて尋ねると、ちょっとナニがどうとか、団子食えとか、わけがわからんことを、おばちゃん2人でこもごも言う。

いや団子じゃなくて食事だと言えば、やっと一人が中に入って、何やら聞いた後で出てくる。ところがおばちゃんが言うことには、まだ早いので天ぷらはどうとか、相変わらずわけがわからない。加えてさらにどうぞどうぞというので、「開いてなきゃ入れないでしょう?」と穏やかに言い、開店時間を問うと、やっと11時だという答えを得た。

11時までにはまだ1時間もある。仕方がないので本堂に引き返す。
本堂の横手は林泉になっており、なんたらの像やら池やら電動の滝やらがある。どう見ても上流に当たる流れなんぞ無いから、電動と見当を付けたのである。その傍らなる喫煙場所で、石段に腰掛けたばこを呑んでいると、珍妙な格好をした子供が、親に連れられて現れる。

それはあたかも、暴れん坊将軍・余の顔を見忘れたかで葵の紋しょってカーン、そのバージョンを小型にしたようなのだが、着慣れぬのと着付けがなってないので、まるで猿回しのように思われる。ただし刀こそ無いものの衣装は白地に青にキンキラキンで、そこそこ立派には見える。ふと見回すと似たようなガキ・ジャリが何組も、ネバダで見つかった宇宙人のような姿で親に連れられている。

独り者である私にはとんと無縁だが、どうやら七五三であるらしい。それにしても私がガキの頃は、家がビンボーだっただけに、こうしたちんどん屋のような格好はさせられなかったのは幸いである。金持ちにしたところで当時は圧倒的に洋装だったように記憶しているが、時代も違えばここは花のお江戸だから、和装に人気があるのだろう。

人が増えてきたのでタバコを消し、奥の庭園へと退散する。
先述した電動の滝の前には、人一人がやっと渡れる石橋が架かっており、その下には、巨大なコイが何匹も、口をぱくぱくさせて泳いでいる。その開閉を眺めながら、池のほとりでぼんやり過ごそうというのだ。

としばらくすると、自転車の前かごに孫らしき子供を乗せた、団塊おやじがやってくる。後ろには、嫁と婿と思しき連中を従えている。も一度言うが、ここは庭園の中であり、おやじが驀進しているのは石畳の狭い歩道である。

敷石を自転車が越えるたび、カゴに積まれた子供がぴょんぴょん跳ねる。それを見てプラハの石畳を踏み破る、ソ連の戦車を思い出す。

何するのだろうと見ていると、どうやらそのまま橋を渡るつもりらしい。くどいながら、も一度書くが、橋は人一人通るのがやっとであり、そこには私がいるわけである。

やれやれと思って体を欄干に寄せると、橋の前でおやじは立ち止まる。何だ渡らないのかと思って体勢を戻すと、そのとたんに渡らんとする。

橋の両側は階段である。あきらかに自転車が通るようには出来ていない。勇猛果敢にもおやじは、真っ先かけて孫乗せたまま、自転車押して突進し、橋に我と孫とを乗り上げる。敵をさんざん懲らしたる、ならば敵とは私かと、も一度体を欄干に寄せると、私の手前で停まってぷいと横向き、ガキに何やら講釈を垂れ始める。

…ばかばかしいから立ち去る。
時間はまだ11時にならない。この先を書き続けたくはあるがブログの字数制限に掛かるので、こたびはここまでで打ち止めとする。
———-
*厄も幸運も、何歳になろうと来るものは来るし来ないものは来ない。仮に特定の歳に来たとして、寺に参ろうが避けようはない。にもかかわらず善男善女(とももはや言えまい)をだまして金をむしる。むしられるのは厄に相違ないから、厄寄せとしたゆえんである。

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