階級社会(ロンドンパブ編)

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旅で最も楽しいのは、実のところ旅に出る前かも知れない。
あんな所へ行ってみたい、こんな事をしてみたいと、想像がふくらむからである。

英国に旅立つ前、是非行ってみたいと思うところがあった。その一つがパブである。
その希望を、英国旅行の経験があるとある友人に話すと、こうおどかされた。

「あのな、ちゃんとジャケットとネクタイして行かなあかんで」
「なんで?」
「あそこは階級社会やろ。パブも階級別になっとるんや。キタナイ格好して入ったら、日雇いのオッサンと一緒の席に連れていかれるで」
「うへぇ~」
「ちゃんと革靴も持っていった方がええでぇ。どうせあんたのこっちゃ、歩きやすいゆうてドタ靴履いて行くんやろ」
「………。」

旅の基本はライトウェイトである。まさか靴2足持っていくことはできないから、最初から革靴履いて行った、ただしジャケットとネクタイとスラックスは持って。
さて11年春、ロンドン最終日の夜、用意の格好に身を固めてパブに出かける。誠に面倒くさい。

そもそも私は、ネクタイというものがキライである。窮屈な上、まるで「わんわん、手前は飼い犬でございます、これがその証拠の首輪でございます、わんわん」と言っているように感じるからだ。しかしオッサンと同席になるのはいやだという、オッサンのくせに図々しい望みが、面倒くささを我慢させた。

コンシェルジェに奨められた、宿近くのパブ「三ツ樽亭」を目指す。ほどほど暗いロンドンの町並みに、そこそこ明るい店がある。これ即ちパブである。ロンドンだけに、ここは漱石先生の文体をまねるのである。

見ればドアが二つ付いている。ものの本によると、ホワイトカラーとブルーカラーで入り口が別れていた名残だという。かつては友人の言ったごとく、中まで仕切られていたという。

今はもうごちゃ混ぜだそうだ。てな情報を、宿を出る直前、ネクタイ締めてから読んだ。出発前に読んでおけば良かった。

ドアにはなにやら書いてある。

どうやら、「キタナイ格好で入ってくるな!ドロの付いた靴で踏み込むな!叩き出すぞ」とあるようだ。英語はさっぱりわからんから、下の句は半ば想像である。

店の前には、立ち席のテーブルがある。ここ英国でも、タバコ呑みは法によって差別されている。ゆえににっくき日本のスターバックス同様、スモーカーは外につまみ出されるのである。

見れば哀れなタバコ呑みが、ビール片手に煙を吐いている。さぞかし不愉快であろうと、スモーカー諸君の意図を密かに諒とした。

ややためらった後にドアをあけて入る。入り口近くの席に陣取る、日本人らしきお姉ちゃん二人連れを除き、誰一人フォーマルな格好などしていない。ただし日雇いのオッサンもまたいない。ついでに長髪ギターロンドンブーツという、極東のオッサンが想像していたような、マンガの如きイギリス人もまたいない。

友人の言はやはりガセだったのか、それとも彼は金持ちだからよっぽどいい店に行ったのか、いずれにせよこんな格好でのこのこやってきた私がマヌケである。

店内は満員であり、立ち席もほとんどが埋まっている。仕方がないから、カウンターの端っこ、雑巾がおいてある場所に立って注文を言う。通じるかどうかはわからない。

「ちょといいあるか」
「What?」
「ビヤ1パイントよこすよろし」
「Sure.」
「おかねいくらあるか」
「What?」
「とれたけ払たらいいあるか」
「*pound**pence.」
英語と米語はぜんぜん違う、ということは分かった。

やがてビールがやってくる。パブは注文のたび現金払いと定まっている。
なおイギリスでビールと言えば普通、真っ黒なエール系、すなわちビターと相場が決まっているらしい。しかし東洋人だと思って気を利かせたのだろう、日本同様の黄色いのが出てくる。ただしそれを雑巾のそばで飲むのはみじめである。

1パイントというと、ちょうど中ジョッキ1杯ぐらいである。この量では駆けつけ1杯でたちまち空だが、その代わりやや気が大きくなる。

見れば相席できそうなテーブルがある。小刻みに震えるじいさんが、一人で飲んでいる。近寄って「ここ座てもいいあるか」と聞いたが返事がない。やはり私の英語は通じないかとがっかりしたがそうではない。近づいてわかったのは、どうやらちょっとオカしなじいさんのようだ。後難を恐れてぞうきんの元へと退散する。

手持ちぶさたによりもう1杯注文する。せっかくだからビターとはっきり言ってそれをもらう。口寂しくもあるのでフィッシュ&チップスも注文する。ここまでで来店から10分ほどだが、ふと見ると暖炉のそばの席が空く。

機敏な行動こそ日本人の身上である。外国の映画でそういうシーンがあるらしい。何でも入国審査の際は、日本人の並んでいる列にくっつくと早く通れるというのである。ともあれ空いたその席に陣取る。

座ればちょうどフィッシュアンドチップスが来る。ぽかぽかと暖かく何ともいい気持ちである。

改めて店内を見回すと、席がちらほら空きだした。長居をするのもいるのだろうが、パブというものは回転がいいらしい。

ここで日本から持ってきた、母校の英文学の先生が書いたロンドン案内の文庫本を開く。
先生の言によれば、パブはイギリス人というものがよくわかる場所であるそうだ。自由かつ個人主義で、互いに干渉せず好きなように過ごせるのが心地よいという。誠にその通りである。

オカしなじいさんもいれば旅行中らしいアメリカ人の写真を撮るのもあり、それぞれに勝手に飲んでいて好きなようにしゃべっている。互いが互いを気にしているような様子はまるでない。先生の感想には、私も全く同意する。ここで少し、イギリスという国に好意を持った。

しかしメシのまずいのはいただけない。米英系諸国のメシのまずさは有名だが、このフィッシュアンドチップスもその期待を裏切らない。ま、前日食べたステーキのまずさに比べればややましではあるが。

ここで記憶のために書いておく。

私は好き嫌いがないほうで、出てきたものは基本的に何でも食べるが、さすがにイギリスのメシには閉口した。パスタを頼めば芯が残り味付けはいい加減で、まるでウサちゃんの餌のようだし、上記ステーキに至っては、なんでまぁこんないい肉を、せんべいみたいにしてしまうのかと口に出してしまったくらいだ、ミディアムと言ったのに。

日本ではテーブルの上の調味料を使うことは滅多にないが、ここイギリスでは必須である。
そのようなわけで、ビターをもう一杯飲んだ後、フィッシュアンドチップスは食べきらないで店を出た。

も1つには、煙を吸いたくなったからである。

店の前で煙草を呑む。ふぃー、と吐いていると、闇夜の中、いきなり背後から歩いてきたイギリス人の姉ちゃんにタバコをたかられた。不覚である。

「タバコチョーダイ、チョーダイ。」
「あんた1本も持ってねぇのか」
火事場の何とやらで、急に英語が達者になる。
「ナイナイ。チョーダイ」

外国で見ず知らずの人間に話しかけられたらまずは警戒すべきだ。スリ強盗の類、またはそれらのツツモタセである可能性が高いからである。合気道白帯の私としてはなおさらである。
面倒くさいので1本渡す。姉ちゃんはひったくるように受け取ってさっさと姿を消す。不愉快ではないが愉快でもない。ま、盗人の類ではないようで良かったとしよう。

とりあえず、パブというものを体験することは出来た。そこそこ悪くはないものだ。

ここはさっさと帰るべきであろう。
薄暗い中を歩いて宿に戻る。

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